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Posted by みやchan運営事務局 at

2019年04月29日

社会人生活10年を振り返ってみたので就職活動中の大学生は反面教師にしてね


まちには就職活動中と見られる大学生が増えてきました。「きっといろんな葛藤を抱えたまま誰かが敷いた就職活動というレールを走らされているんだろうな。そして結局はそのレールを敷いた人が一番得をする仕組みになっていることを知らないままに。」などと思いながら陰ながら応援しているわけですが。








さて僕は2009年に大学を卒業して就職したので、今年で社会人生活10年が経ちました。10年の間で働いた場所は東京、中国(上海・北京)、宮崎。所属した組織は大企業、ベンチャー企業、地方自治体。雇用形態は正社員、フリーランス、経営者と、いろんな場所でいろんな組織でいろんな形態で働いてきました。


 この10年間を振り返って、もし自分が大学生に戻りもう一度就職活動をするのであればどのような視点で行うのかを考えてみました。日頃多くの大学生と交流する機会があり、就職活動の相談を受けることがあります。そんな彼らにとって何かのヒントになればいいなと思いまとめてみます。

これから定期的に以下の3つについてまとめてみます。就職活動に限らずキャリア選択の度に使える基準ですので、多くの方に参考にしていただけるかと思います。
① 就職先を決めるただ一つの基準。それは人生の選択肢が増えるか。
② 社会には2つの仕事がある。誰かが決めたルールを運用する仕事と、誰かが運用してくれるルールを作る仕事
③お金の稼ぎ方は5パターンだけ。時間か技術か人かお金か信頼か。

です。



それぞれについては今後まとめて書きますが、まず就職活動をする上で大前提となるのは「自己分析」、「業界分析」ほど時間の無駄なものは無い、ということです。キャリアの90%は偶然で決まる、という論文もありますが、そもそも職業がほとんど無い大学生が授業とサークルとバイトとデートの合間に少し考えたところで、想定通りのキャリアを歩む確率は1%もありません。



 そして最も大きな問題は学生が行った自己分析、業界分析を正しく評価できる面接官がいないことです。職業経験の無い学生が片手間で自己分析と業界研究をやり、学生の言ってること業界の将来を理解する面接官が合否を判定する。こんな茶番に大事な時間を費やす必要はありません。
結局、自分に向いてる仕事なんて自己分析&業界分析したところで分かるはずは無く、実際に仕事をやりながら徐々に修正していったほうがはるかに効率的です。



ここからは僕が大学時代から今までやってきた仕事を振り返ってみます。
僕が初めてやったのは個別指導の学習塾で、それを選んだ理由は時給が良かったことです。しかし実際にやってみて分かったことが「そもそも僕は勉強ができない」という初歩的なことでした。特に高校生を教えていると徐々に自分が生徒についていけなくなり、時給だけで選ぶのではなく自分の能力も加味しないとダメだな、と(めちゃくちゃ当たり前のことに)気が付きました。



次に始めたのはレストランのウエイターです。注文をとったり料理を運んだりする仕事なので、仕事的には難しくなかったのですが、ここの現場には今で言うものすごい女性のパワハラ上司がいました。人を精神的に追いやることに長けており、この時に初めてストレスが溜まると胃が痛くなることを経験しました。後で知ったのですが、この人は実は上司でも何でも無く、僕と同じくバイトで、新入りが来る度に精神的に追いやり退職させ、自分の権威を見せたがるクセのある方だったのです。「世の中にはこういう自分の存在感の示し方を間違ってる人がいるのね」と勉強になりました。



その次に始めたのはバスツアーの添乗員です。毎週末のようにバスツアーに乗り込んで九州各地の観光地を回りました。ツアーが終われば担当したツアーの収支を出すところまでやらせてもらえたので、ツアーごとの売上や利益が分かりました。どんなツアーに人気があるのか、バスや旅館の仕入れ値がいくらくらいかなど、ビジネスモデルの基本を勉強するには良い教材でした。また観光地には添乗員に”おこづかい”をもたせてくれるとこもありました。始めは「お客さんを連れてきてくれてありがとう」という感謝の意味だと思っていたのですが、これは「今度、近くを通るときはあなたの権限でうちにバスを寄らせてね」という営業だと気が付きました。この時に分かったのはお客さんからの評価は上々なのに、会社では全然評価をされないということでした(笑) 同じバイト生でも飲み会に遅くまで付き合ったりしながらうまく上司に好かれている人もいましたが、僕には同じことができるとは思えませんでした。この時サラリーマンとして生きていくのは厳しいかもしれないと大学生ながら感じました。



また、1日単位で完結する仕事とりももう少し長いスパンで取り組む仕事のほうが良さそうだな、とも思いました。しかし高校野球をやっていて3年間かけて1つの大会に臨むというも途方もない長さだったので、3ヶ月くらいで一つの成果がみえるくらいの仕事がいいな、と感じました。



 他にも派遣でクレジットカードの勧誘バイトや、選挙の出口調査のバイトをしましたが、成績は割と良かったと思います。派遣会社さんからも優先的に仕事を回してもらったり、ボーナスをもらったりもしました。ひょっとしたら営業とか向いているのかも、と分かりました。



 そして、大学を卒業し、リクルートに入社しました。リクルートでは事業開発室に配属されました。新規事業を立ち上げる部署ということで華やかなイメージを持たれがちですが、実際はテレアポ営業から飛び込み営業、大企業のコンペに参加、ルート営業、など様々な営業を経験しました。結局、帯状疱疹を患ったり、うつっぽくなったりしながらも全力でやってみましたが、同期や後輩と比べても自分が営業に向いているとも、上達する素質があるとも思えませんでした。同じ営業でも来たお客さん向けの営業と、自分から行く営業は違うんだな、と分かりました。



またその商品が本当にお客さんのためになるか分からない中で売ることにストレスを感じていました。時にはお客さんのためにはならないと感じながらも売らなければならないこともありました。同僚の中には「そんなの売ってから考えればよいし、どうせ定期的に担当は異動するから大丈夫」と言っている人もいましたが、僕は最後までそれが腑に落ちずにいました。ときにはもうすぐ契約、というタイミングで自ら破談にしたこともありました。どう考えてもお客さんに価値を返せるイメージができず、このままお金を受け取ったらお客さんを不幸にするのではないか。目の前のお客さんを裏切るくらいなら自分の営業成績を犠牲にしたほうがましだ、と思い至ったのです。 ちなみに、その同僚が社内で高い評価を受け、社内で大きな表彰を受け、出世していきましたが、それを見て自分も同じようになりたいとは思いませんでした。組織内の評価で左右されるサラリーマン人生は長く続かないかもしれないな、と感じました。



そして、今度は中国のベンチャー企業で働くことにしました。停滞する日本ではなく、高度経済成長の現場に身を置きたかったということが理由です。僕に課せられたミッションは北京に新しく事務所を作り、インターネット広告の代理店事業を軌道に乗せる、というものでした。ぐんぐん市場が成長しているがゆえに世界中からめちゃくちゃ優秀な人達が大きな資本を投じて新規参入してきており、常にライバルとの戦いでした。 たくさんのコンペに出たりしましたが、基本的に競争が好きではないことから、ライバルの雰囲気に飲まれることも多々ありました。異国の地で一人で戦うことの熾烈さを身をもって知りました。


その一方で良い収穫もありました。その頃は日本を訪れる外国人観光客が増え始めたころで、日本の企業や観光庁がアジア各国に広告を出向していました。そこで日本の企業から広告予算を預かり、アジア各国でそれぞれの地でプロモーションを請け負う新規事業を立ち上げ、比較的順調に伸びていきました。当時の日本にとって外国人観光客誘致は国を上げた「新規事業」でした。その新規事業に携われているという実感は非常に強いモチベーションとなりました。マーケットとモチベーションが噛み合えば事業は伸びることを体感しました。



そして今後は日南市役所のマーケティング専門官として宮崎に戻ってきました。日南市の人口動態を持続可能なモデルに変える、というミッションですが、これはWEBマーケティングをやっていたときの知見が役に立ちました。例えばECサイトの売上を伸ばそうとしたとき「どこからサイトに流入してきているか」「どこからサイト外に流出しているか」を分析します。これは「サイト」を「日南市」に置き換えれば日南市に入ってくる人口と出ていく人口の要因を分析することができます。他業界の知見を導入することでこれまでの自治体には無い新しい考え方が生まれることを実感しました。



また、日南ではフリーランス(個人事業主)として働いています。正社員時代と違って雇用の安定はなくなりましたが、働き方を自分で決められることなどから仕事の生産性はものすごく上がりました。正社員時代は不安は無かったものの不満は多かったです。それに比べてフリーランスは不安定ですが、不満はありません。自己決定権が幸せに直結するという調査データがありますが、僕の場合はその傾向が強いのかもしれません。大企業の正社員で働くよりも個人事業主として働くことのほうが向いているな、と分かりました。



そして、最近は「株式会社ことろど」を設立して会社経営もしています。人類が生み出した法人という概念を使って個人ではできないことをやってみたい。また自治体の仕事は「富をただしく分配すること」がメインですが、民間企業としての「富を生み出すこと」も忘れてはいけないという理由です。まさか10年前には自分が社長をやることになるとは微塵も思いませんでしたが、やってみてとっても面白く感じています。社長として意思決定をする機会は多いですが、その小さな意思決定の一つ一つの積み重ねが結果につながる「他責にできない環境」が非常に充実しています。



10年を振り返ると本当に一貫性のないキャリアを歩んできましたが、10年をかけて徐々に自分にとって居心地のいい場所、成果を上げやすい仕事、バランスのとれた働き方に近づいてきたとも言えます。10年前、大学生だった自分がやっていた自己分析や業界研究は今から思えば全く見当外れなものでした。


「誰か」が決めた就職活動のルールに焦ることもあるかもしれませんが、まずは選んだ仕事に集中して取り組み、そこから分かったことを軸に次のキャリアを選んでいきましょう。そもそも学生と企業という圧倒的な情報の非対称な条件下の就職活動です。しかも働く場所、職務内容は企業が一方的に決められるルールのなかで、自分に最適な企業と職種にはじめから出会えるはずがありません。野球に例えるならば、空振りしたり詰まったりしながらが、自分が得意なコースや球種を理解していきます。一度も打席に立たずに想像だけで自分の得意なコースと球種を決めることはできません。就職活動も同じです。自分の机やPCに向かって自己分析や業界研究に唸っているよりも興味のあることにどんどんチャレンジして、軌道修正しながら自分にあった仕事や働き方を見つけていくほうが、圧倒的に効率的なのです。
  

Posted by たじぃ at 18:30Comments(0)

2019年01月03日

なぜ役所はすぐに「それは前例がありません」と言うのか

 民間企業が行政と仕事をする中で必ず出くわすのが「それは前例がありませんから」という行政からの回答です。常に新しいことに挑戦し、市場を開拓し利益を出さなければならない民間企業にとって「前例が無い」という一言でプロジェクトが進まなくなることに理解できない方も多いでしょう。例え官民連携で新しいことをやりましょう!と進みだしたプロジェクトであっても、行政はすぐに「前例」を持ち出します。「そんなことでは新しいことはできないですよ!前例を作りましょう!」と叫びたくなる民間の気持ちも分かりますが、なぜ行政は「前例」にこだわるのでしょうかを知っておくことも大切かもしれません。




 これは民間と行政で行動を縛るチカラが違うために起こります。民間企業の行動を縛るのは”利益”です。どんな活動も(少なくとも長期的目線で)利益が出る見込みがないと企業活動は継続ができません。どんなに社会にとっていいことであっても、困っている誰かを救うことにつながるとしても、利益につながらないのであれば企業としてそこにリソースを割くことはできません。もちろん儲かることであっても法律に違反してはいけませんし、もしそのような違法行為があれば罰則を受けることになります。ただ、言い換えれば法律に違反しない限り、企業は儲かることは何をやってもいい、とも言いえるのです。(厳密に言うと違法でなくても社会的制裁を受ける場合もありますが)


 では行政の行動は何に縛られるのでしょうか。それが法律、もっと広い意味で言うと明文化されたもの、されてないものを含めた“ルール”に縛られているのです。行政組織は行動をする上で利益につながるのか、そこに市場があるのか、について考慮することはありません。行政機関は決められたルールに従い、ルール通りに行動を進めているか重視します。市役所の窓口業務も細かいルールが決められていますし、地方自治体が国の事業を行う場合も細かくルールが決められています。もちろん国が活動する上でも同様で、法律に則ってそこからはみ出ないようにコトを進めようとします。


 しかし、どれほど細かく決められた法律であっても、実際に仕事を始めて進めていくと条項の解釈の仕方によっては、セーフかアウトかが分かれたりするケースや、そもそも明文化されてないケースが出てきます。その場合、ルールを作った国の機関に確認をすることもできるのですが、そのルールを作った当人達ですら判断できないケースも多いですし、聞く人によって回答が変わるということもあります。(ちなみに、国や市が行う事業がルール通り適正に運用されているのかチェックするのは会計検査や監査委員などの第三者なので、ルールを作った当人がそれぞれのケースが適正かどうかを判断しにくい、という面もあります。)


そこで、ルール通りに仕事を進めていかなければならない行政職員がアウトかセーフかを判断するときの拠り所になるのが「前例」なのです。これは裁判所が出す判例に基づいて法の解釈、運用を進めるという判例主義に近い考え方かもしれません。 行政職員が法律などのルールと照らし合わせても判断できない場合、過去に同じようなケースではどうだったのか、どういう解釈をされたのかを参照します。そして運良く前例があれば判断できるのですが、残念ながら前例が見つからなかったときに出てくるのが「前例がありません」なのです。 


 また行政職員は公務員法という法律に縛られて仕事をしています。その地方公務員法の第29条には「法律若しくは規則等に違反した場合、懲戒処分として戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。」という趣旨のことが書かれているのです。会社員も自社の利益に貢献しない、会社に損害を与えた場合、減給や降格、解雇になりえるのと同じように、行政職員もルールに反したことを行うと罰則を受けることになります。ルールに則って仕事を進めなければいけない行政が条項と照らし合わせても判断できず、解釈の方法の指針になる前例も無いとき、「その施策を実行していいのかどうか前例が無いので判断できない」と言わざるを得ないのです。


これを民間企業に置き換えると「その施策は儲かるかどうか、市場規模も競合の存在も分からないので判断できない」ということです。民間企業が市場規模も競合も調べないで新サービスを開発・リリースすることはありません。ある程度マーケットの分析を行い、利益が出る仮説をもとに事業計画がたって始めて動き出すはずです。行政職員もそれがルールに則った仕事かどうかの分析を行い、前例を調べ、適正であるという解釈ができる根拠を持ってはじめて行動ができるのです。


誤解しがちですが行政が「前例が無い」というのは「できません」ということではありません。「前例が無い」のは民間の「儲かるかどうかわからない」と同じ意味なので、「ルール的に適正」という根拠探しを一緒に行うことができれば、民間でいう「これは利益が上がる仮説がたった」という意味となり行政も動きやすくなるわけです。官民それぞれリスクの定義が違うので相手を誤解してしまうこともありますが「社会の誰かの役に立つために仕事をしている」という目的は共有できるはずです。行政も民間も相手の立場を思いやることで、官民でよいパートナーとなる取り組みの一助になれれば幸いです。
  

Posted by たじぃ at 13:15Comments(0)

2018年06月10日

キャリアアップを目指す人ほど地方に移住すべき理由

地方移住を検討するメインは若者へ

 地方への移住を推進するNPO法人ふるさと回帰支援センターが発表したデータによると、39歳以下の移住相談の割合が10年間で18%から50%にまで増加した。相談内容も一昔前はリタイア後に地方で悠々自適な生活を希望する相談が多かったが、近年は移住先での就業環境についての相談が増加している。国の政策としても東京一極集中の緩和を目的として地域おこし協力隊の募集枠も拡大することが発表され、さらに地方で起業する場合の金銭的な支援策も新設される。

 その一方で「若いうちは競争激しい東京で鍛えるべきだ!」という声や「地方に移住したらキャリアに傷が付く」という考えも存在する。確かにマーケットが大きく競合も多い東京で働くことで得られることは多い。しかしながら、キャリアアップを考えればなおさら、地方に移住したほうが有利なケースが多い。






甲子園出場もキャリアアップも地方のほうが有利


 夏の風物詩でもある全国高校野球選手権大会、通称「夏の甲子園」は全試合が全国生中放送され、最近は週末の試合であれば満席になることも珍しくない。プロ野球や大学、社会人野球のスカウトがネット裏に控え、ストップウォッチとスコアブックを片手に有望な選手を探している。甲子園は高校球児が最も憧れる聖地で、自身の次のキャリアが決まる大事な舞台なのだ。この甲子園に出場できるのは都道府県の予選を勝ち抜いた1校のみだ(東京と北海道は2校)。しかし、都道府県によって人口にばらつきがあり、もちろん出場校の数も違う。最も激戦なのが毎年約200の高校が出場する神奈川県で、逆に最も勝ち上がりやすいのは29校の福井県だ。神奈川県大会だと5回勝ってようやくベスト8にも関わらず、福井県大会であればシードに残れば4回勝てば甲子園に出場できるのだ。この差を利用して行われるのがいわゆる越境留学で、激戦区に住む野球が上手な選手が福井県や高知県などの高校の数が少ない県に引っ越して主に私立高校から甲子園を目指すのだ。選手としてはキャリアパスに直結する甲子園出場の可能性が上がり、高校としても知名度が上がることで入学者が増えるなど、お互いにとってメリットが生じる。

 しかし、これがビジネスやキャリアの分野になると全く逆のことが起こっている。いわゆる夢や目標を持っていたり、物事に対して積極的な人、(定義と測り方は別として)能力の高い人ほど激戦区の東京を目指す傾向がある。たしかに昔は東京から情報が発信され、モノとチャンスも東京に集まっていたので仕方ない面もあったが、現代になってもなお東京を目指し続けている。 キャリアアップの世界も甲子園と同じで、各都道府県に「枠」が用意されている。全国から集まる激戦区の東京を勝ち抜いても、人が少ない地方から勝ち抜いても、全国大会の甲子園で対等な立場で出場できるのだ。



大学中退からいきなりテレビ出演した移住者

例えば、私の住む日南市には中央大学を中退してイチゴ農家に転身した渡邉たいぴー(愛称)という若者がいる。彼はイチゴを作りながら、地元のお祭りでバルーンアートを行ったり、塾を開いたりしている。東京だと「大学中退した変な若者」というある種レッテルを貼られていたかもしれないが、日南市では人手不足に悩むなか新規就農してくれ、地元のお祭りを盛り上げてくれ、子どもたちに勉強を教えてくれる救世主となる。実際、彼は地元のテレビや新聞でひんぱんに登場している。日南市で行われた国家公務員の研修で講師を務めたり、地元の国立大学で300人に向けて起業家論の講話をしたり、宮崎県内ではそこそこ有名人だ。彼は地方に越境留学して甲子園に出場し、多くのスカウトにアピールし、キャリアを切り開いている好事例だ。確かに彼のセンスとバイタリティとキャラクターは素晴らしい。しかし、もし大学を中退したあと東京に居続けたならば、スカウトの目に留まるまではまだ時間を要しただろう。東京大会ではベスト8に入れるかどうか、というところだろうか。(笑) しかし、彼は強豪校、同じポジションを争うライバルがひしめく東京の高校を飛び出し、宮崎から甲子園を目指した。その結果、メディアの注目を集め、スカウトへのアピールが見事に成功した。彼はビジネスを拡大し、現在はきくらげの栽培も行っており、それも問い合わせがひっきりなしに続いている。



地方移住は今やキャリアアップの手段へ

 地方移住というと従来は出世やキャリアアップを諦めて、仕事は最低限で趣味やゆっくりとした生活をしたい人というイメージが強かった。しかし、時代は代わり、SNSを通じて誰でもどこからでも情報を発信することができ、WEB会議やチャットツールが浸透することで、地域に関係なく仕事ができ、東京でしかつかめなかったチャンスが全国どこからでも狙えるのだ。

 しかも、若者が流出し続けているため、一人が担わなくてはならない役割がたくさんある。つまりライバルの高校の数が少ない上に、野球部の部員も少ないため、すぐに打席が回ってくるし、複数のポジションを守らなければならない。そのためバッターボックスに立つ機会も多く、打球が飛んでくる機会も多いので、成長機会が用意されている。さらに近年は政府が政策として地方創生を掲げているため21世紀枠のようなものまで用意され、スカウトの目に留まる機会がかなり多い。




地元選手の出場機会も奪わない


 高校野球で越境留学してくる選手が増えると地元出身の選手が甲子園に出られなくなる、という否定的な意見がある。しかし、移住に関しては各地域で1校しか甲子園に出られないわけではない。誰かが甲子園に出場すれば、その周りにいる人達にも注目されるチャンスが訪れる。甲子園と違ってベンチ入りできる選手の人数に制限がないため、越境留学した移住選手が地元選手の機会を奪うことなく、むしろ移住者が活躍することで地元出身の選手が注目される可能性が生まれるのだ。

 つまり、地域はただ移住者を受け入れるだけでなく、環境を整え、サポートし、移住者を活躍させることが大切になる。そうすることで地元選手も一緒に甲子園に出場することができ、地元の光る原石だった選手もスカウトの目に留まる。さらに地域のPRに繋がり、さらに翌年以降により上手な選手が越境留学してくるのだ。




移住施策は移住した人数ではなく、地域を甲子園に導いたかへ


 これだけWin-Winの関係が見えているのに、移住者を受け入れ彼らを活躍させる方向に向かないのはなぜか。それは、よその地域の選手ではなくて地元の選手で甲子園を目指すべきだ、と意固地な考えから脱しきれてないからではないだろうか。高校野球にはベンチ入りできる人数が決まっているので気持ちは分かるが、地域のPRは人数に制限はない。それならば、うまく移住者の力を引き出し、一緒に甲子園に出場したほうが合理的でなにより楽だ。キャリア志向の実力ある移住者もできるだけ打席が回ってき、守備機会が多く、自身が活躍できる地域を選ぶだろう。移住施策は単純に頭数をカウントするのではなく、移住者と地域がメリットを享受しあえる関係づくりが目指すべき姿だろう。
  

Posted by たじぃ at 23:16Comments(0)

2018年03月03日

世の中には5パターンの仕事しかないから早めに全部経験しておこう!



社会には数え切れないくらい多くの職業があります。それらは地域や時代に合わせて新しく生まれたり、消滅したり、統合されたり、分割されたりしているわけですが、それらはすべて5つのパターンに分類されます。






 まずはゼロからイチを作る仕事。いわゆる「ゼロイチ」などと言われますが、世の中に新しい価値や概念を創造し提供するものです。起業家や企業の新規事業担当者、商品開発担当者などがこれに当てはまります。新しいWEBサービスをローンチしたり、新形態の飲食店を作ったり、新しいタイプのイベントを仕掛けたり、という仕事はこれまで市場になかったものを作り出すという意味で、ゼロからイチを作る仕事です。大事なのは新しいアイデアを発想し、それをカタチにする力です。
 
 次にくるのが1から9まで育てていく仕事です。順調に拡大するベンチャー企業や新しい商品の販路を開拓していく営業のような仕事です。すでに存在する商品の完成度をいかに高めるか、既存サービスの売上をどうやって増やしていくか、といことが業務の中心となります。このタイプの仕事で必要なのが現状を理想のカタチに改善する力、つまりPDCAサイクルを素早く、精度高く回すことです。
 
 9まで出来たものを10に仕上げる仕事が次にきます。学校の試験もそうですが、90点から100点の10点を上げるのは非常に骨が折れます。商品の細かい部分を改良したり、取扱説明書の細かい表現を修正したりとより完璧なものに仕上げていきます。これは既に商品が市場シェアをある程度とれている大企業に多い仕事です。

 また、数字が下がらないように踏ん張る仕事もあります。一定水準の商品・サービスを創り上げても消費者の指向の変化、社会環境の変化によって数字下がる圧力が発生します。その圧力に対して出来る限り数字が減らないように抗う仕事がこれに当たります。数字を増やす仕事は顧客のニーズと向き合いながら付加価値を付ける仕事ですが、「減らないように抗う」のは現状をいかにして維持するか、という守りの意味合いが強くなります。

 そして最後は、マイナスを0にする仕事です。最低限のラインを下回っている人に対して支援する仕事がこれに当たります。病人を治療する医師や、難民支援を行うNGOなどがここに当てはまります。

 ほとんどの仕事はこの5種類に当てはまります。言い方を変えると世にある仕事はこの5パターンしか無いということです。もちろん同じ会社でも部署や役職によってこのパターンは変わります。就職や転職活動ではつい業界や会社名で選びがちですが、9から10の完成形を目指す大企業の中にも、0から1を作る新規事業立ち上げを行う部署はあるわけです。会社のフェーズと個人の仕事のパターンは必ずしも一致するとは限りません。

 学生さんの中には自分が希望する会社に内定をもらうことが就職活動の成功と思いこんでる人がいるかもしれません。しかしながら、私の周りには誰もが羨む大手企業に入社したり、難関倍率をくぐり抜けて国家公務員の試験に合格して官僚になった人もいます。しかし、全員が仕事に情熱を持って仕事に打ち込めているわけではありません。そんな彼らはひょっとしたら就職活動にも転職活動にも失敗している人たちなのかもしれません。

 人にはそれぞれ興味がある仕事、興味がない仕事がありますが、この興味は会社が所属する業界や取り扱う商品、サービスに向けられていることが多いのが現状です。車に興味があるから自動車会社で働きたい、公共に興味があるから公務員になりたい、という具合です。しかし、それらの興味軸以外に、先述した仕事の5つパターンの中で自分が向いている、やっていて楽しいのはどれか、という選択軸を持ってみるのはいかがでしょうか? これからは人生100年時代です。今年就職する人は80歳を超えても現役の可能性もあります。世の中にある5パターンの仕事を、早めに経験し、その中で自分に向いている仕事、やっていて楽しい仕事を見つけることができれば、これから続くであろう長い職業人生を充実したものにできるでしょう。

 大学生のみなさんは今月から就職活動が(表向きには)解禁されました。希望する会社から内定をもらう、という狭い視野で就活をするのではなく、少なくとも60年間続く社会人生活のファーストキャリアをどういう形で始めるといいのか、という広く長い視点でがんばってくださいね。
  

Posted by たじぃ at 16:56Comments(0)

2018年01月02日

地方に移住できる人とできない人の違い

移住希望者が求める仕事とは
 地方への移住やUターンを検討した時、必ずと言っていいほどネックになるのが、仕事です。実際、東京在住者の4割の人が地方移住、もしくはUターンを検討しているという調査結果もあります※1が、そのネックになるのが「仕事」と答えている人も約4割にのぼります。しかしながら少子化が進行し人手不足問題が深刻化する現代において、地方で仕事が見つからないことはほとんどありません。実際に有効求人倍率を見ても1を超えています。つまり、仕事がネックというのは額面通りに仕事があるかないか、ということではなく「自分が東京で培ってきたキャリアを継続、もっと言うと活かせる仕事があるのか?」ということなのです。
 では東京でのキャリアを活かした仕事が地方にもあるのか?と聞かれると「ある場合もあるが、ない可能性のほうが高い」と言わざるを得ません。もちろん、地方と言っても福岡や札幌のような都会から限界集落ギリギリの田舎まであるので一概に言えませんが、東京ほど既存の仕事の選択肢は広いとは言えません。(もちろん、地方には東京ではできない仕事も数多くありますが)





移住希望者に見られる2つの思考パターン
 地方移住・Uターンを検討している人たちが仕事の壁にぶつかった時、2パターンの思考をする人がいます。一つは「地方の会社に就職した時、自分はどういう待遇になるのか?」と考える人。もう一方は「自分がこれまで得てきたスキルや知見、人脈を活かせる仕事が地方にあるかどうか?」と考える人です。前者は自分を評価してくれる組織が地方にあるかどうかを重視し、後者は自分のスキル・能力を活かせるポジション(=チャンス)が地方にあるのかどうか。を考えています。この2つの考えは似ているようで雲泥の差なのです。

前者の「自分を(東京と同じくらい)評価してくれる組織があるかどうか」と思考する人に対して、地方の求人リストを渡すと確実に「給料低いですね。。。」と言われ、移住・Uターンには至りませんが、後者の「自分のスキル・能力をどうやったら活かせるか?」と思考する人は(たとえ給与が下がっても)相性のいい仕事を見つけられる可能性が高いですし、なかには起業しちゃったりします。
 この2パターンの思考方法は極論すると「東京でしか働けない人」と「日本中どこでも働ける人」の思考の違いです。自分を評価してくれる組織を探し回る人は東京の企業を転職し続けるでしょうし、自分のスキル・能力を活かせるチャンスを探す人は東京でなくても好きな場所で働くことができます。従来は地方にUターン、地方移住と言うと東京に疲れた人が地方に戻る、というある種負け犬感がありましたが、今は全く反対になっていて、東京でしか働けないので大きな企業で社畜(綺麗な言い方をすると企業戦士?笑)をやるしかない人と、自分のスキル・能力を活かしてやりたい仕事を住みたい場所でできる人の二極化が生まれています。まさにライフプランの選択の幅の格差社会に突入しているのです。

良い移住は検討者のキャリアを地域で活かせるコーディネーターが大事
 最近、僕が住む宮崎県日南市にも移住者、Uターン者が増えているのですが、その多くは東京や海外などで培ったキャリアを活かした仕事を自ら作り出しています。もちろん、既存の地場企業に就職することが多いのですが、その企業の中で新しい事業を作ったり、社内改革を行ったり、存分にこれまでの経験を活かした仕事をされています。地方にある仕事にそのまま就職することしか考えない人と、地方にある仕事に自分のスキル・能力などを追加することでどういう新しい事業が生まれるのかを想像できる人との差はあまりにも大きいのです。逆に言うと地方側は地方移住やUターンを検討する人がいた場合、その人が持っているスキル・能力を地域のどんな人や組織とつなげれば、どのような化学反応が起こるのかを想像できるコーディネーター的な役割をつとめる人が必要です。そのコーディネーターは地域の産業、企業、教育、医療、地域活動、など幅広いことを把握している必要があり、マッチングスキルも問われます。
 移住やUターンを検討している人は地方の仕事に対してどっちのパターンの思考をしているのか、また地域側は移住希望者がいたとき、移住者のキャリアを活かせるマッチングを行う体制が整っているのかを確認してみることが、両者にとって幸せな移住を実現することにつながるのです。

※1「東京在住者の今後の移住に関する意向調査」の結果概要について。首相官邸HPより  

Posted by たじぃ at 14:22Comments(0)

2018年01月01日

東京で働く最大のメリットは世界一のマーケットに触れられること

東京経済圏は世界最大のGDP
 将来、地方で働きたい人にとって東京で働く最大のメリットは「世界最大のマーケット」の中で常に生活できることです。意外に知られてないのですが、東京経済圏は世界最大のGDPを誇り、ニューヨーク経済圏や上海経済圏を大きく上回っており、今後のしばらく続くと予想されています。デパートやショッピングモールに行けばマーケティングされ尽くした商品・サービスが並び、電車に乗れば魅力的なコピーとビジュアルの広告が目に飛び込んできます。これらは世界最大の東京圏マーケット向けに様々な企業が多くのデータを分析し、あの手この手で消費者の購買欲求を刺激してきます。






狭く深くの東京の大企業と広く浅くの地方の中小企業
 将来、地方で働きたいのであれば東京の大企業で様々な経験を積むことが大事だ、と言われることがありますが、残念ながら東京の大企業で得られる経験は地方の中小企業で役に立つとは限りません。東京の大企業で働いたところで部署、役職ごとに分割されたタスクをこなすことが多く、バリューチェーン全体に関わることができるまで10年以上かかることは珍しくありません。対して地方の中小企業は担い手不足という要因も重なり、一人で何役もこなさなければ会社がまわりません。広報・人事採用・総務や、マーケティング・営業・企画を一人で担当している企業も珍しくありません。大企業は狭く深く業務を行い、中小企業は広く浅く業務を行っているのが現状です。
 たしかに、大企業だと研修制度が整っていたり、会議の進め方が形式化されていたりするので、どの会社でも通用するいわゆる社会人基礎スキルが上がりやすいという側面はあります。しかし、普段の業務ではビジネス全体の細分化された一部分を担うことなり、深い専門知識は付いたとしても幅広い知識が得られるとは限りません。某広告代理店に勤務する友人はかれこれ7年間もテレビCMの枠買いをしており、各番組のCM枠の相場や安く購入する手法について専門知識を持っていますが、広告主が作る商品の顧客設定やクリエイティブ、販路開拓、プライシングなど、その他の領域に関する知識は持ち合わせていません。(そもそも、そういう知識を持ち合わせることを会社からも期待されていません)


東京に住んで得られるのは職業スキルだけではない

 しかしながら「将来は地元で仕事をしたいけれど、一度東京で経験を積んだほうがいいですか?」という質問を大学生から受けることがありますが、「絶対に東京で仕事をしたほうがいい」と答えています。それは、東京の会社で得られるビジネススキルよりも、東京の巨大マーケットの中で消費生活をすることができる経験が、将来地方で働く時にものすごく使えるものからです。よく地方に行くと「地元にはいいものがたくさんあるけど、売り方が下手だ。」と言われます。それは言い方をかえると「地方の人達は地元のどういうモノ、コトが東京のマーケットで評価されるかが分かってない」ということです。
 僕は仕事の中で地域資源を活用したビジネスプランコンテストの運営を行うことがあります。参加者は地元の人を対象にしているケースと、都会のいわゆるよそ者のケースがありますが、仮に同じ地域資源を題材にしても、全く違うターゲットを想定したビジネスプランが提案されます。地元の人が提案するビジネスプランは地元の人たちを顧客設定したものなのに対し、都市部の人たちが提案するそれは、都市部の人たちをターゲットにしたビジネスプランになるのです。それは、ビジネスプランを作る時に顧客をターゲッティングしたとき、普段自分が馴染みのある消費行動をイメージしやすい顧客を選ぶからでしょう。やや尖った言い方をすると、普段から東京のマーケットに触れてる参加者は地方のどんな地域資源がどのように評価されるのかが分かっているが、地元の人たちはそれが分からないので地元向けのビジネスプランに行き着くのでしょう。(言わずもがなですが、どっちがいい悪いの話ではありません)

地方で求められるのは外需向けの事業を創れる人
 いま地方で求められているのは「仕事を自ら創れる人」です。仕事を創るためには顧客を知らなければいけません。地元の地域資源を活用した商品を都市部に販売するビジネス(=外需型のビジネス)が生まれると地域の経済はとても潤います。僕が生活する宮崎県日南市の場合、外需型のビジネスでの雇用が1人分できると3人の地元を顧客にしたビジネスの雇用が生まれます。それは都市部から入ってきたお金が地域内で循環するためです。例えば地元の芋焼酎を東京に売ることで、仕入れ先の芋農家が潤い、芋農家が仕入れている肥料業者が潤い・・・と地域内で経済が繋がっているからです。
 東京で働くことで得られる最大の経験は、大企業に所属して狭く深い専門スキルを得られることではありません。地方で必要とされているのはそういった細分化された専門スキルではなく、世界最大の東京圏マーケットでどういうモノ、コトが評価されるのか、を体感値で知っていることです。東京に住み、消費活動をする中で、あなたに対してあの手この手で消費させようとする商品・サービスに簡単に触れてきた経験値がものすごい価値なのです。その経験値が地元の商品を東京圏のマーケットで売るための仮説をたてる力につながります。外需向けの事業を行う10人の企業ができれば、地域に30人の雇用が生まれることになります。地域で求められるのは縮小する地域内マーケットでパイの奪い合いをすることではなく、外需を取り込む事業をつくることです。そういったスキルや感覚値を持っている人たちは地方に移住したり、Uターンで戻っても多くの仕事が舞い込んでくる可能性があるわけです。
  

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2017年10月28日

地方に移住者を増やすためにすべきこと

人口減少に悩む多くの自治体が移住者を増やすために様々な施策を行っています。例えば東京有楽町にあるふるさと回帰センターにブースを設置したり、移住情報をまとめた専門サイトを解説したり、移住体験ツアーを行ったりしています。しかしながら、自治体人口全体からすると微々たる影響で、決して人口減少に対する効果的な施策とはいえないのが現状です。

 そもそも人はどういう基準で住む場所を決めるのでしょうか。それを理解せずに「うちの街に移住してくださーい!」とPRをしても効果は限定的です。移住する可能性のある顧客を見つけるところから、自分の町を選んでもらうまでの一連の流れをつくり、それぞれに合わせた施策を打っていくことが大切なのです。

 数学に公式があるように人が居住地を決める公式もあります。公式はどのようなケースにも対応できる数式の定理といういみですが、居住地決定における定理を導き出せれば、あとは計算するだけ。つまり施策を実行するだけなので無駄な努力を省くことができます。


居住地決定の公式は以下の数式です。

期待イメージ ×(仕事+生活)


この数値が最大になるところが居住地として選ばれます。

期待イメージ = その地域で楽しそうな未来を具体的に想像できる度合い
仕事 = 収入とやりがい
生活 = コンビニやスーパー、駅など生活インフラの充実度合い


 移住を検討している人に対して「地方は給料は下がりますが、物価も安いので可処分所得は変わりません」と話す人がいますが、それは「仕事」の数値は下がりますが、「生活」の数値が上がるのでプラマイゼロですよ!と言っているに過ぎず、効果的ではありません。 さらに最も大事なのは「期待イメージ」と「仕事、生活、地域の和」が掛け算になっていることです。いくら(仕事+生活)の合計が高くなっても、「期待イメージ」がゼロだと人は動きません。

 たとえ、今より魅力的な仕事があって、生活インフラが充実していても、その地域で具体的に期待できるイメージができないと移住しないわけです。 高給でやりがいがあっていい物件に住めるからアルメニアのエレバンに移住しませんか?と言われてもほとんどの人が躊躇するのは、エレバンで生活する将来的に楽しそうな具体的イメージが沸かないからですよね。逆に同じ条件で地域ブランド調査2017で1位に輝いた京都市に住めるのであればエレバンよりは移住する人が多いはずです。それは具体的な楽しい生活イメージができるからです。つまり、仕事と生活が高くなっても、期待イメージがゼロだと人は動きません。


 移住者やUターン者を増やすのであれば、上記の公式の合計値が誰にとっていつ最大になるのかを考える必要があります。地方都市が首都圏から移住者、Uターン者を獲得する上で、最も勝算があるのは28歳前後です。それは28歳前後で居住地決定の公式を当てはめた時、東京が相対的に低い値になるからです。





上記のグラフからみても。多くの日本人にとって自分の意志で居住地を決めれるのは、高校卒業時の18歳、専門学校or大学(院)卒業の20~24歳、転職者が多い25~35歳、定年の60歳の4回があります。40歳以降ではほとんど引っ越しをしていません。

 ケースを一般化するために地元(地方都市)VS東京で居住地決定の公式を当てはめてそれぞれのライフステージで見ていきます。




 まずは高校卒業時の18歳。このときは刺激の少ない地元から華やかな都会に憧れているときです。有名な大学に通ったり、渋谷で買い物したり、アーティストのライブに行ったり、アルバイトしたり。仕事(≒大学)も生活も数値が高くなっている上に、テレビやネットを通して東京で楽しく生活している具体的なイメージもできます。ですので、このタイミングで地方が東京に勝つことは難しそうです。実際に多くの若者が高校卒業を機に都会に引っ越しています。


 次に大学卒業時の22歳。始めて社会人として働く人も多いタイミングです。有名な企業や大手の企業で働いたり、将来就きたかった仕事につけ、不安と期待が入り交じるときですね。東京のビジネスマン、キャリアウーマンとしてファーストキャリアを歩みだします。


 次が28歳前後。社会人生活も5年目ほどになり、若いベンチャー企業などでは既に中堅的なポジションについているころです。この頃になると心境にある変化が起こり始めます。社会人として一定の経験をしており、基礎的なビジネススキルは身についています。なので、新卒~3年目頃までのように目の前の仕事に追われることも少なくなり、中長期的な将来設計を考え始めます。 
  
  結婚、出産、子育て、それに伴う住宅の購入などこれから発生するであろうライフイベントを想像したとき、片道1時間以上満員電車で通勤し、保活に追われ、給料が上がる保障もないのに35年もローンを組まされ、老いゆく地元の両親に会えるのは年に1回か2回という半ば無理ゲーに挑まなければならないことを悟ります。東京生活も10年くらいしていると、このまま東京で働き続けてもこの先に輝かしい将来があるとは限らない現実にも薄々と気がついています。 この結婚から始まるライフイベントを意識する28歳前後というのが、居住地としての東京の評価最も下がるタイミングなのです。この28歳前後というのが地方が東京に勝ちうるタイミングなのです。
 

 最後が定年の60-65歳。すでに子どもは独立しており、夫婦二人暮らしが多いでしょう。このタイミングで新しく発生するのが医療の問題です。医療制度が充実していると高齢になっても安心です。医療に関しては人口が多い東京の方が充実しているのは現実です。そうすると自然豊かな地方での生活に興味があっても二の足を踏んでしまうこともあるでしょう。


 このように、移住者を増やすのであれば、闇雲に移住動画や移住キャラなどを作ってPRをするのではなく、どういう人達が移住する可能性が高く、自分たちの地域はどういう人に移住してほしいのか、ということを考え、戦略的に施策を実施する必要があります。地方と一言で言っても地理的、歴史的、経済的要件により様々です。だからこそ、自分たちのまちのポジショニングを意識し社会環境や競合する自治体を意識して戦略を作らなければなりません。

 (仕事+生活)の数値を高めるための取り組みはよく見られますが、期待イメージを高める施策はあまり行われてないません。自分がその地で生活している楽しい具体的なイメージを持ってもらうためには、知らない誰かが載っているWEBやパンフレットだけでは弱いです。最も効果的なのは自分の身近な人の体験談です。現代はSNSもあるので、先に移住した人、Uターンした人たちが情報発信を積極的に行ってもらえる体制を整えることは移住やUターン者を増やすための有効な施策となるのです。  

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2017年08月29日

東京が刺激的と感じる人はどういう人か?

ふるさとチョイスを運営するトラストバンクが東京在住者を対象に『地方移住に関する意識調査』行ったところ、2人に1人が地方移住に興味があると回答したことが話題となった。約半分の人が地方移住に関心を持っているものの実際に移住できるひとは少数で、ほとんどの人は関心を持ち続けながら今も東京で生活している。
 
 東京と地方の違いについての議論では、かなりの確率で「東京は刺激的で、地方は刺激が少ない」という話題が出る。 東京の方が流行も最先端で、人も多いのでいろんな人と会えるので刺激を受ける機会が多いが、地方は東京で流行ったものが地方に波及してくるので流行も遅く、人が少ないので刺激を受けることが少ないということだ。

東京は刺激的で、地方は退屈。これは何か社会で共有されている前提として話が進められることが多いが、本当に東京が刺激的で地方は退屈なのだろうか。私は4年前に宮崎県日南市に移住してきて、マーケティングの仕事をしている。日南の前は上海、北京、東京と1,000万人を超える大都市で生活していたが、日南市はその200分の1の5万人のまちだ。日南に来てから刺激が少なくなったかというと、実際は逆に地方の生活の方が何かと刺激的だ。東京では退屈なルーティーンの生活を繰り返していた人が日南に引っ越してきて、仕事もプライベートも充実して生き生きしている人もいる。





「東京は地方よりも刺激的」という前提は必ずしも成立しない。東京の方が刺激的な人もいれば、地方の方が刺激的な人もいる。では、どのような人が東京に刺激を感じ、どのような人が地方に刺激を感じるのだろうか。

東京に刺激を感じる人は「商業施設」「流行の飲食店」「ライブやイベント」「多様な仕事」「人との出会い」などに魅力を感じているのではないだろうか。これらは基本的にお金を使う「消費」によって得られる刺激だ。企業などが市場調査を行いニーズに合わせて作ったものを、消費することで刺激を得ている。このような人たちは商品・サービスを消費することで刺激を感じられる受動的な人たちと言える。「人との出会い」に刺激を感じる人も魅力的な人から刺激をもらおうという受動的な観点に立っている。
 
逆に地方に刺激を感じている人は「豊かな自然」「魅力的な食材」「使い放題の遊休施設」「地域コミュニティー」などをうまく活用しながら新しい仕事を生み出したり、遊びを作ったり、イベントやパーティーを開催して楽しんでいる。無人島で釣った魚をBBQで食べて、キャンプをするというレジャーは東京では相当ハードルが高いが、日南だと気軽にしかも安価で楽しめる。これまで手付かずだった多くの資源をITやデザインなどを活用しながら、事業に仕立て上げることに刺激を感じているひとも多い。実際、地域資源を活かした事業である「ローカルベンチャー」が全国各地で生まれている。

つまり、東京のほうが地方よりも刺激的だ!と感じている人は、誰があなたに楽しんでもらえるために作った商品・サービスを意のままに消費をして「これは刺激的だー!」と感じているだけなのかもしれない。感じていると言うより「感じされられている」という方が的確だろう。カラオケの最新機器も、おしゃれなカフェも、インスタ映えするナイトプールもすべてマーケティングされている。設計された商品サービスを消費させられ続けることに刺激を感じられる人は東京の方が向いているかもしれない。

 対して、地方に刺激を感じる人は新しい商品やサービスや価値観を創ることに刺激を感じるクリエイティビティに溢れた人の可能性が高い。地方に眠る手付かずのアセットを活かし、新しいモノ、サービス、概念を創り上げていく。誰かがマーケティングし設計された商品サービスを消費することでは刺激を感じず、自らが何かを創り出すことに刺激を感じるのだ。近年、デザイナーや建築士、作家などのいわゆるクリエイターと呼ばれる人たちが、東京と地方の2拠点居住を始めたり、完全に地方移住したりする事例が出ているがそれも好例だろう。定期的に東京でインプットはするものの、普段の生活や仕事や遊びは地方で、というケースは多い。地方の方が生み出す余地は圧倒的に残っているのだ。

 もちろん、ほとんどの人はものを消費することでの刺激を好む。何かを創り出すことに刺激を感じられる人は少数派だろう。それが東京の人口集中につながっているのかもしれない。しかし、世の中には東京よりも地方に刺激を感じる人がいるし、そういう人から活躍を地方の場にもとめて移住しているのかもしれない。消費に刺激を感じる人は東京に、創造に刺激を感じる人は地方に。もちろん明確には別れないが、今後の傾向としてはそのような流れになるのではないだろうか。
  

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2017年04月14日

個々(KOKO)の取り組みに固執する残念な地方創生~なぜ工場誘致と観光客数アップを目指すと失敗するのか

残念な地方創生シリーズ、最終回は「個々(KOKO)の取り組みに固執する」ことについて書きたいと思います。 個々の取り組みとは全体像を捉えずに各プレイヤーも連携せずに個別バラバラな取り組み、ということはもちろんですが、もう1つ意味があります。それはKOKOの取り組みです。勘、思い込み、経験、思いつき、のそれぞれの頭文字をとったKOKO(個々)の取り組みです。

自治体が取り組む施策にはたくさんのKOKOの取り組みがあります。イメージし易いところでいくと、ゆるキャラやPR動画がこれに当たります。ご当地ゆるキャラを作ることが地方創生につながるのか?PR動画を作ることが住民にどのようなメリットになるのか。 例えば、移住促進PR動画を公開したところ瞬く間に話題になり、再生回数は100万回を超え、全国放送でも何回も取り上げられた自治体があります。では、その後移住者の数に変化は会ったのでしょうか? 統計を見る限りは影響はほとんどありません(と言うか、実際は動画を公開する前よりもその自治体への転入者は減少しています。)作られた動画のクオリティーはとても高かったし、面白い仕掛けもされていて、つい何度も見てしまいます。動画の再生回数を増やす、という観点からすると本当に素晴らしい大成功だったと思います。ただ、これはあくまで動画のできが素晴らしかっただけであり、移住者には今のところつながっていません。問題と課題を混同する残念な地方創生でも書きましたが、移住者を増やすために設定した課題が移住PR動画をバズらせる、ということの是非から検証する必要があります。全国の自治体がこぞってPR動画を作っていますが、これでは地方創生ではなく、D通創生ですね(苦笑) 動画がたくさん再生されてPRできれば移住者が増える、という「勘」とか「思いつき」からできた施策といえるでしょう。

その他にもKOKOの施策はあります。観光客数を増やす、工場の誘致もその例です。観光客を増やしても、工場を誘致しても地域の活性化になるとは限らない、と言われると意外に思われる方も入ると思いますが、これも「観光客が増えれば地域が活性化する」「工場を誘致すると地方創生につながる」という思い込みがあるからこそ、意外に感じるのです。

ではなぜ観光客数を増やしても地域の活性化につながるとは限らないのか。活性化の定義をどうするかという論点もありますが、ここでは第二回の「目標と目的が乖離していく残念な地方創生」でも書いた「人口ピラミッドをドラム缶状にする」ことを活性化とします。人口ピラミッドの歪みを整えることで、その地域の持続可能性を高めます。例えば、年間2000万人の観光客が訪れ、たびたび人気の温泉地ランキングでもトップに輝く箱根温泉がある箱根町。平日でも箱根湯本駅周辺はたくさんの観光客で賑わっています。ではさぞかし箱根町は活性化しているのだろう、と思って人口動態を見てみると、中学、高校を卒業した若者がどんどん町外に流出しています。箱根町の人口流出率は神奈川県でトップ。ものすごい勢いで若者が流出し、戻って来ません。この背景は観光産業が地元経済への波及効果を産んでいないことが要因として挙げられます。年間2,000万人の観光客が来て、温泉を楽しみ、飲み食いをして、宿泊するわけですが、食事は町外の食材が使われ、東京資本のホテルに泊まり、新宿本社の小田急電鉄のロマンスカーで往復する。それではせっかく箱根で消費されたお金がすぐに町外に流出してしまい、結果としてその他の産業に波及せず、雇用が生まれないため、若者が町外に流出していくのです。(箱根で働く人の多くは町外から勤務しています) つまり、本当に観光で雇用を作り地方創生につなげるの出れば、観光客数だけでなく、一人あたりの消費単価、域内調達率(顧客に提供された商品・サービスがどれくらい域内で付加価値が付けれられているか)の3つの因子を見ることが大事になるのです。 観光客がが増えれば活性化するんだ!というのはまさに思い込みや経験の類の思考です。


工場誘致に関しても同じことが言えます。 工場誘致をすると多くの雇用が生まれますし、そこに付随する関連産業も立地するので、雇用につながるからいいことだ、と考えられている節があります。ではそもそも、①地域は雇用を作る必要があるのか ②製造業は雇用吸収力が高いのか の2点を考える必要があります。 次のグラフは僕が住む日南市の職種別の求人数と求職者数のグラフです。






見てのとおり、事務職以外の職種はすべて求人数が求職者数を上回っています。つまり、事務職以外の職種は人手不足の状況で雇用をしたいけど、そもそも働き手が見つからない、という状況に陥っているわけです。これは景気がいいからではなく、少子化と若者が市外に流出した結果、生産年齢人口が縮小していることが原因です。製造業についてはその傾向が顕著で、僕も複数の製造業の会社の社長さんから「人手が足りないからなんとかしてくれ!」と言われます。このように、ただでさえ地場企業は
人手不足に頭を悩ませているのに、そこに自治体が工場を誘致したらどうなるか。さらに人手不足の状態に陥り、地場企業の経営を圧迫してしまいます。 この職種別の求人数、求職者数のグラフは日南市と串間市をあわせたのものですが、全国の地方都市は同じような傾向になっています。工場を誘致すると若者が働いて地域が活性化するんだ!というのは若者がたくさんいた昔であれば当てはまりますが、現代では事情が大きく変わっています。まさに経験と思い込みによる施策です。

このようにゆるキャラやPR動画だけでなく、地域の活性化に直結すると思われてた観光客増加や工場誘致も現在の環境だと逆に地域の重荷になってしまうことがあるのです。行政の意思決定者は基本的に50歳以上の経験豊富な方がされることが多いのですが、その経験がときには思い込みにかわり、経験から来る勘や思いつきによって施策が行われることがあります。施策には税金が使われ、行政職員の人件費も使われます。だからこそ、勘と思い込みと経験と思いつきによる取り組み、通称個々(KOKO)の取り組みからいち早く脱却し、データやエビデンスにもとづき、ロジカルに施策を組み立てて行くことが大切なのです。










  

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2017年04月13日

「目的」と「目標」が乖離してしまう残念な地方創生

日本の人口は2008年の1億2800万人を頂点に減少局面に入りました。それ以降ばらつきはあるものの毎年20万人のペースで人口は減少し続けています。このままでは日本の将来人口は2030年に1億1600万人。1億人の大台は2041年に下回ってしまうと言われています。それまで日本の人口が減少することを政府は事前に把握できてなかったかというと、もちろん把握できていました。人口問題の際に必ず持ち出される指標に「合計特殊出生率(一人の女性が生涯で出産する子供の数)」がありますが、人口を維持するためには2.06が必要とされています。この合計特殊出生率は1974年に2.06を下回り、現在は1.4あたりを推移しています。つまりこの合計特殊出生率を見ていると必ず人口減少局面に突入することは分かっていたわけです。ではなぜ、最近になるまでほとんど対策されず、話題にもならなかったのでしょうか。 それは政府もメディアも「人口の絶対数」しか見てなかったからでしょう。1974年に2.06を切ったにも関わらず2008年までの34年間も人口は増え続けていました。それは、医療技術の発達などにより年寄りの寿命が伸びていったからです。生まれる子供は減ってきているけれど、お年寄りが長生きするようになったので、合計特殊出生率が2.06をきってからも34年間人口が増えていったわけです。人口の絶対数しか見てないと、「人口は増えてるよね。安心安心。」という結論で落ち着くわけです。





しかし、今後は人口減少の勢いは加速しています。「そろそろ人口が減りだしたので、対策をしましょう!」といまさら言っても、合計特殊出生率が2.06を切ってからの34年間の助走をつけた上で減少に転じているわけです。早い段階で対策していればまだ傷口は浅いものの、思いっきり助走を付けられて人口減少に突入しているので、人口減少を止めることはもちろん、減少率を緩和することも困難を極めます。

最近流行りの地方創生の取り組みはこの人口減少をすこしでも緩和することを目的の一つとして取り組まれています。毎年500人が減っていれば、それを300人に押さえて、30年後に人口◯万人の維持を目指しましょう、という具合ですね。自治体の施策の中に目標数値を入れるということ自体は素晴らしいことだと思うのですが、この目標が「人口の絶対数」ということには気を付けなければいけません。

前回のエントリーである残念な地方創生「問題」と「課題」とも共通しますが、目標と目的の意味は似ているようで全然違います。目標というのは「標(しるべ)」と書くようにどこか行きたい場所があり、そこに向かうために参考にする案内板のような意味です。実際の案内板にも◯◯まであと5kmと書いてあるように、目標は数値化もしくは言語化されています。目的は「的(まと)」と書くように到達したい、もしくは到達すべき場所、状態のこと指し、必ず数値化・言語化できるとは限りません。ボーリングではレーンの途中に横に並んだ5つの三角印があります。その印(=標)を参考にして玉を投げると狙ったピン(=的)に当たるという関係が、まさに目標と目的の関係になります。

では地方創生における目標と目的は何か。目標は先述したように「年間で減少する人口を◯◯人から、△△人に緩和する。」「移住者を年間☓☓人にする」とか数値化できるものです。では目的は何かというと、「東京一極集中を是正し地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力をあげること」というのが政府見解です。それを踏まえて地方にとっての目的は何かというと、「地域に根ざす伝統や文化、産業、経済などを次世代(=若者)につなぎ、進化させ、地域の持続可能性を高める」ということになるでしょう。地域の人口をある程度維持し、伝統、文化、産業、経済を維持発展することが、国全体の活力につながります。

政府にとっても地方にとっても広義の目的は「持続可能性を高めること」です。その目的に到達するための標として、地方の人口を増やすことが設定されているわけです。(厳密に言うと地方財政と国家財政の話もありますが、それはまた機会があれば)

では、その目的を達成するための目標が人口の絶対数で間違いないのでしょうか。この人口の絶対数を追いかけて施策を打てば地方の持続可能性が高まり、国の活力があがるのでしょうか? 答えはノーのケースもある、というものです。 当たり前の話ですが、生まれたての赤ちゃんと、働き盛りのビジネスパーソンと100歳のおばあちゃんは同じ人口1人でも、その役割や必要な社会的援助は全然違います。そのような幅広い年齢の人を一人、とカウントし、目標に設定することは間違った標になりかねないのです。 地方創生に文脈において度々「人口減少が問題だ」という語り方をされるケースがありますが、厳密に言うと、人口減少自体が問題なのではありません。地域にとっての本当の問題はその地域の持続可能性が損なわれ、地域が消滅してしまうことです。それを防ぐために地域の持続可能性高めることが大事なのです。(詳細は問題と課題を混合する残念な地方創生にて)

では、地域の持続可能性を高めるためには何を標としなければならないのか。それは「地域の人口構成をドラム缶状に整える」ことです。その地域の適切な人口は、面積や産業、交通事情、周辺の地域との兼ね合いなどで変わってきます。しかし、どんな地域においても、この人口構造が歪(いびつ)であれば、その地域の持続可能性は損なわれていきます。高校卒業したら全員が都会に出てしまって帰ってこなければ、そのうちその地域から出産適齢期の女性がいなくなり、子供が生まれなくなります。逆に子供がたくさん生まれ、若い人がどんどん増えてくれば(昔の日本がそうであったように)働き口が不足してしまいます。地方で廃校が増える問題も、都会で待機児童が出る問題も人口減少自体が原因なのではなく、「人口構造が歪なること」で発生します。逆に地域の人口構成が各世代同じ人数になっていれば(歪がなくドラム缶状になっていれば)、あたらしく幼稚園を作る必要もなく、介護施設を作る必要もなく、今あるインフラを維持修繕していけばいいわけなので、財政的にも負担をかけません。つまり、地方創生の地方側の目標は人口の絶対数に置くのではなく、世代間人口の歪みの是正に置くべきで、各年齢層の歪みを何%以内にする、といった数値を目標にしなければなりません。目標が人口の絶対数だと、お年寄りを全国から誘致しようとか、極論を言うと延命治療に注力して人口減少を緩和しよう、といった施策も選択肢に入ってきます。倫理的な問題が絡みますが、少なくとも地方創生の意図とは少し離れてしまいますよね。目標は目的との最短距離上に設定することを心がけないといけません。そうでなけば、目標は達成しているけれど、どんどん目的から離れていく、といった疲労感しか残らない残念な状況に追い込まれる可能性があるのです。

冒頭でこのまま行くと2041年に1億人を切ると書きました。人口1億人といえば、1966年の頃です。人口問題に関心が薄い理由の一つが「人口を年齢別構成でなく絶対数でみてしまう」ということです。「1966年のころは1億人でもすっごく賑わいがあったよ!」と昔を思い出して言う人がますが、1966年の日本の平均年齢は29歳でした。生産年齢人口がどんどん増えるときの1億人と、高齢者人口がどんどん増えるときの1億人は全く違う1億人なのです。人口の絶対数ではなく、人口構成を見なければ、問題の重大さや、その問題解決のための課題設定はできないのです。

解決すべき問題を特定し、問題が解決されるための課題を設定する。そして、その課題を正確に素早く取り組み、改善を重ねていく。前回のエントリーである「問題」と「課題」を混同する残念な地方創生につながりますが、正確に問題の把握をすることが、筋の良い課題は設定できません。地方にとっての問題は「人口が減る」ことではなく、「人口構造(ピラミッド)が崩れること」です。それを見逃して手当たり次第課題を設定しても、地域はさらに疲弊していくだけなのです。
  

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2017年04月10日

「問題」と「課題」を混同してしまう残念な地方創生

東京一極集中をどう是正するか、移住者をどう増やすかなど、地方創生にまつわる議論や取り組みが盛り上がっています。政府は従来のような「日本全国一律支援します」というスタンスから、「頑張る市町村を集中的にサポートします」というスタンスに変わるなど、政府としても大きく方針転換しつつあります。しかしながら、現場の地域や、市町村に行ってみると地域の問題が解決されるどころが、どんどん問題が悪化する泥沼にはまっている地域も見られます。なぜ、そのようなことが起こるのか。まちづくりで大切と言われる「公民連携」を軸にまとめてみました。





問題を解決するためには大きく3つのサイクルがあります。①解決すべき問題の決定、②問題解決のための適切な課題の設定、③設定された課題を正確に実行する、です。問題と課題はよく混同して使われることがありますが、問題とは「理想の姿と現実の姿のギャップ」のことをいい、課題は「そのギャップを埋めるために取り組むタスク」のことをいいます。小中学校の夏休みの宿題の定番である読書感想文にも課題図書というのがあったと思います。この宿題は「読書を通して自分の考えを作文としてアウトプットすることができる」という理想と、「その力がまだ足りない」という現実を埋めるために子供にとって適切な「課題」を学校側が設定しているわけです。計算ドリルや漢字ドリルも、「習った漢字は読み書きできる、習った計算は正確にできる」という理想と「まだ計算力、漢字力が十分ではない」という現実を埋めるためのものですね。


さて、このような問題と課題の定義についてはビジネスの場では当たり前のように区別されていますが、こと地域活性化や地方創生の分野になると急に曖昧になってしまいます。地域で行われる会議では問題も課題も区別して語られることは皆無ですし、もし地域が解決すべき問題を決めれたとしても課題設定がチグハグ、さらに誰もその課題に取り組まない、、、などなど絶望的な気持ちになることが多々ありました。


地域の問題を解決するための3つのサイクル①解決すべき問題の決定、②問題解決のための適切な課題の設定、③設定された課題を正確に実行するを官(行政)・民(企業)・政(政治家)で役割分担することが重要です。公民連携とざっくり言われることがありますが、具体的な肝は問題解決サイクルを公(政・官)と民とで役割分担することです。

①の解決すべき問題の決定をするのは政治家(主に首長)です。極論を言えば政治家はそのために住民から投票というカタチで選ばれているわけです。どの問題を解決するのか、それをやってくれるリーダーを選ぶのが首長選挙です。
次に②問題解決のための適切な課題の設定は民間が得意とする領域です。理想と現実を的確に把握し、その差を埋めるための課題をロジカルに設定する力は民間企業の商品・サービス改善で培われています。
そして最後の③設定された課題を正確に実行するに関しては官(行政)が最も得意とする領域でしょう。僕も4年前から行政で仕事をすることになって、タスクを正確に確実に処理する力に尊敬しました。そもそも行政は一定の試験に合格している人たちの集団です。誰かから与えられた課題(タスク)を正確に時間内に処理する力の高い人たちの集まりなので、それもそのはずですね。その一方で自らで課題を設定する機会は多くありません。県や国の補助金を使って建物を作ることはあっても、そもそもその建物を作ることで問題が解決に向かうのか、を問われることはほぼありませんでした。自治体の施策といえば、同じようなイベントやったり、ゆるキャラ作ったり、動画を作ったり、、、。果たしてそれが地域の問題解決につながるのか疑問なのに実施しているのは適切な課題の設定が苦手(な意思決定組織)だからでしょう。


僕が住む宮崎県日南市は地方創生の文脈で紹介していただくことがしばしばあります。例えば、油津商店街の再生について。この油津商店街は今では全国どこにでもあるようなシャッター商店街で、「子供だけで近づかないように」と指導されるほどの商店街でした。そのシャッター商店街を再生させるべく日南市が打ち出したのは「4年で20店舗のテナントを誘致する専門家を公募する」というもの。委託料は市長よりも高い月額90万円と全国でも大きく話題になりました。そこには333人の応募がありましたが、そこから選ばれたのが木藤亮太さん。彼は契約期間の約4年で28店舗のテナント、企業、保育施設、ゲストハウスなどを油津商店街に誘致し、活気を取り戻しつつあります。また、企業誘致の面でも取り上げられることがありIT関連企業が1年で10社進出し、すでに70名以上の雇用を創出。しかもそのほとんどが20,30代の女性ということも注目をあつめています。他にも1回で4,000人を超える外国人観光客が訪れる大型クルーズ船がシーズン中は毎週のように入港したり、城下町の空き家を民間資金でリノベーションし高級宿泊施設に変容したりと、様々な施策が同時並行で進んでいます。


それらの「衰退した商店街」「若者の少ない雇用」「観光」「増える空き家」を解決すべき問題として設定したのは市長です(前市長も含む)。そしてその問題解決のための課題の設定は民間が中心となって行い、設定された課題には行政が責任を持って関わりながら市民も一緒に取り組む。そうやって一つ一つプロジェクトが動き出し、問題解決3つのサイクルが加速し、それがPDCAのもと改善して精度が高くなっていく。それが事業となり、マーケット(市場)の力に乗っかり、行政や政治が介入せずとも自走していく。そんな事例が日南市では生まれだしています。



戦後からバブル時代くらいまでは、問題解決の3つのサイクルは日南のそれとは違っていました。①の解決すべき問題の決定は昔も政治家でしたが、②の課題の設定は官(地方公務員)が行い、③の課題への取り組みは民(企業)がやっていました。地方公務員は国の各省庁からスキームと補助金がセットになったメニューが出されているので、自分たちが取り組みたい課題を決めて導入すればよかった。これまでは国が用意するメニューを選んで、民間の事業者に発注しておけば地域は回っていました。それは各省庁が日本よりも先を行く国を視察し、その事例を各市町村(都道府県)が導入しやすいメニューにしてくれていたからです。なので、地方は国が作るメニューを選んでおけばなんとなく時流に沿ったまちづくりができていたわけです。(もちろん、人口が増加していたので筋の悪い課題を設定していても自然と問題が解決されていくこともあったと思います)



しかし、日本は世界でもまれに見るスピードで高齢化が進み、人口の急激な減少が見込まれ、もはや日本が参考にできる(成功している)国がなくなってしまいました。国としてもこれまでのように成功国の事例を補助メニューにカスタマイズして、全国の市町村に導入してもらうだけではダメということに気がついてしまいました。しかし全国の市町村のマインドは昔と同じで国が用意するメニューをいかに導入するかから抜け出せず、国としても全国の市町村に共通する成功モデルをメニューとして作ることはできないと悟っています。だからこそ、これまでの地方活性化施策に見られた「全国一律での活性化」から「頑張る地域を優先してサポートする」という方針に切り替えたのでしょう。そんな中、まさに主役は地方です。地方は現場で必死に問題解決に注力し、国はその中から汎用性の高いものを他の「やる気のある」地域に広めていく。これまでとは全く逆のベクトルでの地方の活性化の取り組みが始まりました。



そして問題解決3つのサイクルである①解決すべき問題の決定、②適切な課題設定、③課題への取り組み、がうまく進んでいれば応援&サポートし、変な方向に進んでいれば方向修正をサポートするのが「議会」の役割です。執行部側(=問題解決側)の伴走者として地域住民の声を届けることが役割です。



そんななか、なんと4月16日(日)は日南市長選挙、市議会補欠選挙が行われます!地域のあらゆる問題の中でどの問題を解決すべきなのかを決める首長と、その問題解決サイクルが順調に進んでいるかどうかをチェックする議会のメンバーを決める大事な日です。ぜひみなさん、投票にいきましょう!それが地域の問題解決を支える地域住民の意思表示の場です。
  

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2017年02月19日

保育園落ちた人こそが移住にベストのタイミングな説

2月の恒例行事になりつつある「認可保育園落ちた!」というSNS上への投稿。「保育園落ちた日本死ね!」というブログがバズってからもう1年が経ちました。小池都知事もこの問題への優先度を上げたいはずなんですが、豊洲市場の移転問題や、オリンピックの競技場問題がマスメディアを賑わし、なかなか進捗状況が見えません。そもそも、なぜ保育園を増やす!という問題がマスメディアで取り上げられにくいかと言うと、多くの視聴者にとっては当事者意識が薄いからです。テレビの視聴者は子育てが一段落した年配世代がメインです。さらに上の世代に行けば行くほど「子供は母親が育てるべきだ!子供に寂しい思いをさせるなんてけしからん!」などと悪気なく信じ込んでいます。

そして、その世代こそが政治家を選ぶ「票」を持っているため、視聴者の興味の薄い保育園問題は政策としてり取り上げにくく、優先度が落ちていくわけです。自分とは関係ない保育園問題よりも自分の食卓に影響する築地市場問題や、日本の栄光を思い出せる東京オリンピックの話題のほうが視聴率をとれるため、マスメディアはそれらを優先して放送し、政治家はメイン視聴者であり有権者のボリュームゾーンの年配者を意識した政策を行います。その結果、保育園問題は後手後手に回されてしまいます。

これは誰か特定の人が悪いのではなく、マスメディア、政治家、有権者、広告主(代理店)などの関係者のインセンティブ設計が崩れていることで引き起こされており、認可保育園を落ちたからといって、デモをやっても裁判をやっても全く問題の解決にはつながりません。関係者のインセンティブをどのように再設計するかが課題であって、相当複雑な問題になっています。


東京はdinks世帯(共働きで子供がいない世帯)にとって最高に優しい街だと思います。二人暮らしだと家賃が押さえられる上に、ふたりとも働いていると収入は2倍です。お金で調達できる商品・サービスが多い多い東京であればdinks世帯は最も住みやすい街だと思います。しかし、子供がうまれ、子供の数が増えれば増えるほど東京は住みにくくなります。

東京の物価は高くて地方は安い、と言われることがありますが、コンビニ価格は東京も地方も同じですし、スマホ代も同じです。では、何が東京より地方のほうが安いかというと「不動産」と「子育て費用」の2つです。子供が増えれば増えるほど子育て費用(保育園に入れるための活動「保活」の労力も含めて)がかかり、子供のための広いスペースを求めればそれだけコストがかかってくるわけです。



それを踏まえると、認可保育園を落ちて困惑してる方々がとるべく対策は3つあります。

① 彼女の両親を東京に呼んで、子供の世話をお願いする。
② 世帯年収を2,000万円以上にする。
③ 待機児童の発生していない地方都市に移住する。

一つ一つ解説していくと
① 彼女の両親を東京に呼んで、子供の世話をお願いする。
→ おじいちゃん、おばあちゃんにとって、孫の世話をすることはとっても楽しい時間です。保育料を払わなくても進んで世話をしてくれますし、勝手におもちゃやお小遣いまで買ってくれる可能性まであります。

② 世帯年収を少なくとも2,000万円以上にする。
→ 無認可保育園であれば入れるとこもあります。ただ保育料が高かったり、その他様々な制約があることがネックになっているわけです。であれば、収入を上げてサービスをお金で買って解決するという手法です。(ちなみに、2,000万円と言うのはざっくりなので、問題をお金で解決できるレベルにするということです。)

③ 待機児童の発生していない地方都市に移住する。
→ 日南市マーケティング専門官というポジショントークは2割くらいありますが(笑)、最も筋が良い解決策はこれだと思います。





例外はありますが、基本的には地方都市では待機児童の問題はありません。全員が認可保育園に入ることができる可能性が格段に高まります。しかし問題は「どうやって地方都市を選ぶか?」ですよね。これに関してはベストな回答がありまして、「奥様の実家がある地方都市」です。(奥様が東京出身の方々はすみません!) 奥様の同級生などのコミュニティーが残っていたりすると、居場所があるので夫婦生活に負担がかかりませんし、縁故採用などが残っている地域であれば再就職も楽になります。さらに奥様のご両親が近くに住んでいると、ちょっとした時に子供の面倒を見てもらえたりするので、育児の負担も軽減できます。(心理的なものも含めて)
 
 じゃあ、男の方はどうするんだ、ということですが、東京で5年以上働いてきた30歳前後の男性の就職先はめちゃくちゃあります。地方都市では利益は出ているものの人手が足りずに事業が拡大できないとか、最悪のケースだと後継者がおらず、事業が引き継がれずに廃業するケースもあるくらいです。(実際、こっちのケースほうが多いんですが。) 地方は東京に比べて20-30年先に高齢化社会を迎えており、現役世代が続々と引退しており、たくさんの仕事(ポジション)に空きがでいるにもかかわらず、若者が少ないために、仕事・ポジション自体が無くなっていく、というケースが多いのです。ですので、そういう地場会社の新規事業部長とか、中には社長の右腕(次期後継者)として採用されるケースも出てきており、地場企業からするとぜひとも入社してほしい人材だったりするわけです。
 さらに通勤時間も短縮されるので、家族と過ごす時間が増えますし、家事も夫婦協力して行うことができるでしょう。結果として、一人の年収は減るものの、共働きが可能になるため世帯収入は上がる一方、子育てコスト、家賃も下がる。しかも緑豊かな環境の中で子育てができるわけです。


ということで、子育てフェーズに入ったタイミングを期に移住を検討することが、家計的にも最もお得です。インターネットで買い物もできますし、車で走れば大型ショッピングセンターもだいたいあります。東京の人口のボリュームゾーンは40代後半から50代です。つまりその下の世代にとっては上の世代がつっかえてしまって、若い世代にチャンスが回ってきにくい構図になっていますし、地方でさえ子供が少ないので、今後東京に流入する若者はどんどん減っていきます。昔のように地方で子供がたくさん生まれて、長男以外は上京する、というモデルは成り立たなくなってるわけです。 それであれば、現役世代の引退が増え、仕事・ポジションが増え続ける地方にさっさと移動して東京で得た知見を活かして仕事をしたほうが、精神的にも身体的にもそして経済的にも圧倒的に楽だと思います。


でも「夫婦ともに東京出身で移住先どうやって決めればいいか分からない」という方向けにマトリクスを作成しました。移住先はやっぱり、開放的な地域がいい! ということでご参考にしてくださいませ♬ 閉鎖的かどうかはヤフー知恵袋で調べたもので、僕の主観ではありません。関係都道府県の方々ご了承くださいませ(笑)




もし、「移住したいけど候補先を決めきれない。。。」ということがあれば、いつでも日南市に御連絡ください。(最後は宣伝で終わりー♬)

  

Posted by たじぃ at 17:52Comments(1)

2016年12月18日

権威の正体と権威の交代 ~DeNAのウェルク炎上事件を見て思うこと~

世の中にはさまざまな権威が存在しています。権威を辞書で調べると「他の者を服従させる力」とあり、これら様々な権威に共通していることは「誰かを評価し選ぶ立場」であることです。例えば、東京大学は非常に大きな権威ですが、その東京大学には毎年多くの高校生が受験をします。またノーベル賞も世界最高峰の権威ですが、ノーベル賞の検討委員会は全世界から研究者なり、政治家なり、小説家なり、アーティストを評価し選びます。そして、選ばれた人はめちゃくちゃ喜び、国をあげて祝福するわけです。


また、IOC(国際オリンピック委員会)も世界的な権威の一つです。IOCは開催都市を「評価し選ぶ立場」にある機関だからです。開催都市に選ばれれば大きな利益がある(と少なくとも昔は思われていた)からこそ、立候補した都市だけでなくその国までも招致活動を行うわけで、IOCに選ばれるために各都市は様々な努力が必要です。


東京オリンピックにおいてはIOCの委員に多額の賄賂が渡されてたり、エンブレムのデザインがパクリだったり、会場の建設費が膨大になっているなどの問題でもうグダグダになっています。そんな中でもIOCは東京をあの手この手で支援してくれています。それは世界の各都市が「お金ばっかりかかってオリンピックやってもいいこと無いよね。」と思われると、立候補する都市がなくなってしまいます。そうすると、都市を選ぶ立場から、逆にオリンピック開催を選んでもらう立場に変わるわけです。そうなるとIOCの権威は失墜し、利権も発生しない。もちろんIOCの委員も美味しい思いができなくなる。今回、IOCが東京大会が無事に開催されるように頑張って支援しているのは、別に東京のためでも、善意でも無く、自分たちの権威を保ち、立場を守るためなのです。(念のためですがIOC委員全員が賄賂を受け取っているとか、そういうことを言いたいわけではありません)


そして、この評価し選ぶ立場と、評価され選ばれる立場というのは時代の流れや、テクノロジーの進化により、変化することが度々おこります。例えば、高度成長期の前あたりまでは、石炭会社は大学生の人気就職先ランキングでもトップ10に入るほどの人気業界でしたし、業界の権威もそれなりにありました。しかし今はその陰はもはやありません。それは、主力のエネルギーが石炭から石油に変わり、多くの石炭会社が苦境に追い込まれ、就職先としても取引先としても選ばなくなってしまったからです。新聞の権威が落ちてきているのは、情報をインターネットで得る人が増え、新聞が選ばれなくなってきたからです。


このように、時代の変化やテクノロジーの進歩により、評価し選ぶ側だったのが、評価され選ばれる側に変り、権威が失われることが度々起こります。



グーグルは世界的にも権威をもつ組織になりました。少なくともインターネット業界で最も権威を持つ組織と言っても過言ではありません。それはグーグルが世界中のWEBサイトを「評価し選ぶ立場」であるからです。検索したときに自分のサイトがどこに表示されるかは大きな問題です。ましてWEBサービスを展開している企業にとって、グーグルにどう評価されるか(=どこに表示されるか)は死活問題となります。だからこそ、DeNAが運営する「ウェルク」はグーグルに評価され選ばれるために、様々な対策を講じ、その中で行き過ぎた施策が問題となったわけです。昔は多くの人に情報を届けようと思うとマスメディアに評価をされ取材先に選ばれる必要がありました。しかし、インターネットが発達し簡単に検索ができる時代は、WEBサービスを展開する企業にとってはマスメディアではなくグーグルに評価される必要があります。今回のウェルクの問題はテクノロジーの進化により、権威の構造が変わりつつあり、その過程で起こった問題なのです。これは何もインターネットだから起こった問題という単純な話ではなく、権威に評価され選ばれるための努力が間違った方向でなされたことが問題なのです。実際、まだテレビの影響力があった時代、発掘あるある大事典で納豆を題材にしたテーマでヤラセがあり、番組が打ち切りになったことがありました。そのように考えると、ウェルクはPV(ページビュー)欲しさにグーグルに評価され選ばれるために努力し、業界・企業は広告宣伝のためマスメディアに評価され選ばれるために努力をしているわけで、それらの努力が間違った方向に行くことが問題ということは共通しています。


今回のウェルクの問題はインターネットの問題ではなく、社会の権威構造の変化が生み出したことが要因で起こった新しい問題です。権威の交代が起きるとき、権威側にいた人たちは必死に守ろうとします。マスメディアにとってインターネット界の権威であるグーグルは非常に脅威であり、情報収集の手段がインターネットの検索に置き換わると、マスメディアは選ばれにくくなり、自分たちの権威は低下します。WEBのニュースサイトでは様々な確度から問題が掘り下げられていたのに、テレビ・新聞は「インターネットは情報が曖昧で信用できない」という方針一辺倒を貫いていたのは、マスメディアの権威を守るためには仕方ないスタンスだったのでしょう。
  

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2016年11月08日

生涯正社員が不利になる時代

政府もようやく「働き方改革」を大きく掲げて日本人の働き方を変えようと動きだしました。このままの働き方をしていけば日本の経済力に限界が見えていて、そこにメスをいれなければ、歪が大きくなってくるからです。産業能率大学が実施している「新入社員の会社生活調査」では新入社員の約70%以上が終身雇用制度を望むと回答しています。意外なことに個々数年は増加傾向なのですが、正社員ということは会社にフルコミットする働き方であり、異動を命じられれば望まない仕事であろうと違う部署に移り、転勤を命じられれば家族がいようと日本全国に転勤し(全世界に?)なければなりません。 ただその代わりに対価として一定の給与と昇進を得られるわけです。

しかし、この正社員の終身雇用制度は、これからの「企業」にとっても「従業員」にとっても「日本の国」にとても大きな足枷になってきます。


旅先で働くスタイルも増えている!?  出典:ぱくたそ-フリー写真素材・無料ダウンロード

企業にとって足枷になるとはどういうことか。今後、国内マーケットは人口減少の煽りを受けて徐々に縮小する可能性がありますが、実はそれ以上のスピードで生産年齢人口が減少していくため慢性的な労働力不足の状態が続きます。引退して消費する側の人口が急増するにもかかわらず、商品・サービスを提供する側の人口が減少していくからです。マーケットが拡大していく戦後から2000年くらいまでの局面では先に正社員として社員を終身雇用して、会社で育てながら(飼いながら!?)未成熟なマーケットに対して画一的な商品・サービスを提供することは合理的な戦略でした。しかし、これからの成熟かつ多様化した縮小マーケットと対峙する会社にとって終身雇用し画一的な教育をした正社員から商品・サービスを提供することが大きなリスクとなってきます。合理的な選択をする企業から順に早かれ遅かれ、そして新入社員が望むも望まざるも、この終身雇用という雇用形態は下火になっていくでしょう。マーケット拡大局面と縮小局面では経済活動のルールは大きく変わるため、以前の局面の場合に最適化されていた働き方はどんどん見直されることになります。


従業員にとっても生涯に渡って正社員で雇用されることが最適とは限りません。その一番の理由が介護問題と家事・子育てです。まず介護に関して言うと、今後10年で75歳以上の人口が急激に増えていきます。50歳前後の人たちが親の介護に関わることになります。現在はまだまだ本格的な介護時代の入り口ですが、、これから物凄い勢いで75歳以上の絶対数が増えていきます。事実、大手企業の複数社が介護休暇を導入し、その他介護に対応するための勤務形態などを設計しています。資金的、人的に体力のある企業はなんとか社員の介護支援をできるかもしれませんが、今後10年の人口動態を見ると流石に抜本的な改革が無いと社会として追いつかないでしょう。そうなると企業に所属する正社員の終身雇用は従業員のライフステージの変化に対応できず、働く側にとって非常に不便な雇用形態となってしまいます。

 家事・子育てに関しても同じことが言えます。工業や建設業を中心とした体力が必要な産業で経済成長している時代であれば、力のある男性が必死に働くことで付加価値を最大化できます。筋肉のある男性が掃除、選択などの家事をやることはもったいなかったわけです。なので、役割分担をして女性が家事を担当し、男性は体力が必要な仕事に従事するというスタイルが夫婦のリソース配分が最適になるのはもちろん、それは企業としても日本国としても最適配分になるわけです。しかし、内需マーケットは人口減少に比例して縮小する可能性が高く、マーケットニーズも多様化しています。企業は体力のある男性だけを雇用して画一的な商品・サービスを大量に作ってマーケットに供給するというモデルから、企業の中に多様性を担保して柔軟にマーケットの変化に対応できる組織に変わっていくでしょう。そうなると、女性の社会進出が進み、結果として男性も育児・家事に参加「せざるを得ず」家族の役割分担が変わっていくでしょう。


そして、日本の国(政府)にとっても正社員の終身雇用が主流の社会を変えざるを得なくなってきました。日本は経済大国と言われていますが、確かにGDPは世界第三位ですので、経済大国かもしれません。(ちなみに、2013年に中国にGDPを抜かれて、現在はすでに2倍以上の差がついています!)しかし、一人あたりのGDPをみると32,000米ドルで実は世界第26位。時間あたりの生産性に関してみるとOECD加盟34カ国の中では22位、主要先進7カ国の中では最下位です。この分母に当たる労働時間の中にはいわゆるブラック企業のサービス残業などは含まれてなさそうなので、実際の順位はもう少し落ちる可能性もあります。ですので、確かに国全体のGDPでみると経済大国かもしれませんが、一人あたりのGDPや生産性を見ると下位から数えたほうが圧倒的に早く、単に人口が多いのでGDPが大きく見える、というのが実情なのです。 さて、そんな中、政府も日本が国際社会の中で一定のポジションを保つためにも(その必要があるかどうかはさておき)国の経済力はとても重要です。今後本格的な生産年齢人口が減少することが確定している日本にとって、一人ひとりの生産性をいかに上げるが肝になります。そのためには現在働いている人の生産性を上げると同時に、これまで(GDP観点から)働いてなかった人たちを労働市場に参入してきてもらわなければなりません。 世界的にも前例のない勢いで人手不足問題が顕在化するなか、すでに働いている人は生産性をあげて働く。まだ働いてないけれど働ける人は新規でドンドン働いてもらう、という流れを作っていかなければなりません。


さて、そうした中、個人としてはどのような働き方を目指していけばいいのか。それは自分のライフステージとマーケット環境から、最適な業界と雇用形態を選択できる仕組みとスキル得ることです。各ライフステージにあわせて雇用形態を変えながら、マーケットの変化に合わせて働く業界や企業もチェンジしていくというスタイルです。例えば新卒でまだビジネスのスキルや経験が低いうちは正社員として会社に所属し業務の中で経験を積んでスキルを磨きます。ただ正社員なので会社から毎月の給与を保証される代わりに異動や転勤など会社からの要望にも答える必要があります。まだ単身者で若く伸びしろも、体力もある人が多いので、このような働き方が従業員、会社の利害が一致します。(言わずもがなですが、若くて体力があるので長時間労働すべきだ、と言っているわけではありませんし、それは全く別の問題です) そして数年後、結婚し子どもが生まれたら、業務委託などの雇用形態に切り替えて子育てと仕事を行う。この頃には一定のスキルと経験があるので、会社も個人も成果物で握る業務委託での契約が可能になります。複数社と契約してもいいでしょう。 そして、子育てが落ち着いたらまた正社員や契約社員として復帰するという選択肢もありですし、起業という選択肢もありでしょう。子どもも独立し余裕が出てきたタイミングで親の介護が始まったらパートタイマーで働くのもありかもしれません。 この雇用形態の切り替え方はあくまで一例ですので、個人の能力や環境によって変わっていくと思いますが、リンダ グラットンさんの言う人生100年の時代、20~80歳まで60年間働らき、それぞれライフステージも変化します。その変化に合わせて雇用形態をスイッチできることが人生の幅を広げるでしょう。

 そしてこの考え方の対極にあるのが、まさに高度経済成長時代に「大成功」した正社員として終身雇用で働くモデルです。しかし人口構成が変化しマーケットの環境が一変した中、所属する一社に言いなりになって(家族や地域社会を顧みず)働き続けるのは人生全体でみると非常にハイリスクローリターンです。たしかに、スキル、経験は無くとも単身である程度自由が効く若い頃は正社員の雇用形態がローリスク・ハイリターンですが、スキルも経験も溜まり、結婚・子育てや介護のなどライフステージが変化してくると正社員の雇用形態から得られるリターンが少なくなってきます。企業側からしても、従業員のライフステージによってリスクとリターンのバランスも変化します。その変化に対応できるような柔軟な雇用形態を作れることが、これから迎える圧倒的な高齢化と労働力不足への対策なのだと思います。
  

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2016年10月12日

なぜ地方の人は残業しないのか。

IT企業を中心にコールセンター業務や、WEBの管理・運用などを東京でなくてもできる業務を地方都市に移管していく流れが起こっています。それはコスト削減を目的として行われるわけですが、その対象となる一つが人件費です。厚労省が発表している2015年のデータをみると、最も年収が高いのは東京都で平均623万円。最も年収が低いのは沖縄県は平均355万円となっており、280万円ほどの開きがあります。 IT企業はWEBでのコミュニケーションに慣れているため、東京の高い人件費を払ってやる必要のない仕事を、沖縄などの人件費の安い地域に移行させ人件費を削減するわけです。しかし実際に地方にサテライトオフィスを出して地方の人を雇用して運用してみると、人件費は想定していたほど削減が出来ないケースが多々起こっています。



(▲画像 建築設計:水上哲也建築設計事務所  写真:鈴木研一)
 
IT企業の進出先として有名なのは沖縄県で、日本で最も人件費が安いためサイバーエージェントを代表として多くのIT企業がサテライトオフィスを開設しています。他にも宮崎県や島根県、高知県にも多くのIT企業のサテライトオフィスが開設されており、最近は全国の地方都市に広がっています。 
しかし、地方にサテライトオフィスを開設した企業に話を聞くと、人件費の削減効果は思ったほどではなかったと言う話がよく上がります。それは地方で雇用した人は基本的に残業をしないため社員数が増え、想定していた人件費の削減が出来なかった、と言うものです。東京では仕事が終わらなければ当たり前のように残業するのに、地方では定時で帰ってしまうため、結局は社員を増やさなければ回らなかった、という内容です。実際、宮崎県に進出したIT企業に勤める社員も定時で帰宅するのが主流ですし、稲刈りの時期などは有休を普通に取得することも全く珍しくありません。沖縄県では聞いた話だと、残業はおろか、そもそも始業時間に社員が出社をせず、無断遅刻や欠勤が多発し、結局、東京の社員を沖縄に派遣して業務をしているという笑えない事例も出てきます。しばしば「地方の人は仕事に対してルーズだ」という言い方をする東京の人がいますが、話はそんな単純ではありません。なにも東京の人が勤勉で地方の人が勤勉じゃないという話ではないのです。(そもそも論として残業してまでノルマをこなすことが勤勉という価値観がおかしいのですが。)

なぜ、同じ日本でこのように仕事に対するスタンスが違ってくるのか。これは詰まるところ経済活動のパターンが東京と地方で違うからです。 

これは僕が勝手に分類して命名したものですが、日本国内に存在する経済活動のパターンは「貨幣経済」「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」の4つです。


・ 貨幣経済・・・・・貨幣を介して商品やサービスが提供される一般的にイメージされる経済。
・ 物々交換経済・・・農家と漁師が野菜と魚を交換するといった物々交換から生まれる経済。
・ 貸し借り経済・・・誰か大事な人を紹介してくれたとか、トラブルに遭遇したときに助けてくれたとか、「恩」に紐づく貸しと借りで成り立つ経済。世代を超えて家系で引き継がれていくこともあり、「彼のおじいさんには大変お世話になったから、彼にはなんでも協力しろ」みたいに100年単位で続くこともある。
・ 自給経済・・・自分の家で畑を持っていて作物ができるとか、家で味噌や醤油を作っているとか、物を購入しなくても自給でまかなえる経済、というものです。

この4つの経済活動パターンのバランスにより貨幣を得るための労働にどれだけリソースを投下するかが変わってきます。東京はもちろん貨幣経済の比重が最も重いエリアです。ほぼすべてのサービス、商品は貨幣を通じてやり取りされます。逆に言うと貨幣を持っていなければ商品・サービスを得ることは出来ない社会といえます。物々交換経済はおろか、自給経済もほぼゼロなので、圧倒的な貨幣経済と少しの貸し借り経済で成り立っている地域といえます。その真逆で最も貨幣経済の割合が低いのが沖縄です。沖縄は地元人同士のつながりがとても強く、沖縄出身者コミュニティはウチナンチュー(沖縄の人)とナイチャー(いわゆる本土の人)という言葉があるくらいめちゃくちゃ強い。なのでその固定したコミュニティに基づいた貸し借り経済や物々交換経済もしっかり根付いているわけです。僕が住む宮崎県日南市も東京に比べると圧倒的に貨幣経済の割合が低いです。みかん、焼酎、お米はよく物々交換されていますし、本業とは別に農業をやっていてお米と果物は自給しているという人もたくさんいます。(僕もオーナー制ではありますが、田んぼを2箇所で持っています)

東京は人と人とのつながりがなくても貨幣があれば商品・サービスを受けられます。また人もたくさんいて入れ替わりも激しいし、コミュニティも自分の意志で自由に行き来ができます。そもそもお金があればコミュニティに属さなくても生活はできます。しかし地方都市に行けば行くほどコミュニティは固定化しており、貨幣で得られる商品・サービスの幅も少ない。そして例え貨幣があってもコミュニティの中で同じ地区の人たちや関係性を築けなければ、いわゆる村社会の中で孤立してしまい社会的な死を意味します。極端なケースでは、お金を持っていても地元住民と関係が破綻していれば、いざという時に誰も助けてくれない可能性すらあるのです。逆に言うと、コミュニティの中で人間関係が築けていると物々交換経済の幅は広がり、貸し借り経済もうまく活用でき、ピンチのときにお金が無くても過去の個人の信用や関係性から地域コミュニティに助けてもらえる可能性がある。つまり生活していくためのリスク分散ができるわけです。

「なんのために働くか」という壮大な問いがあります。自己実現のため、とか好きなものを買うため、とか答えはそれぞれだと思いますが、最低限の目的は「生きるため」でしょう。その最低限の目的を達成するために、貨幣経済に依存している東京では働かなければお給料が得られず、商品・サービスが受けられません。それは死に直結します。しかし地方では貨幣経済以外にも物々交換経済や貸し借り経済、自給経済もそれなりに機能しているので、たとえ貨幣の収入が低くても東京のように死に直結することはありません。貨幣経済ももちろん大事ですが、物々交換経済や貸し借り経済もあり、それらの経済を成立させるためには地域社会との関係を築いていることが大切です。なので地区や消防団の飲み会とか、PTAの会合、お祭りの神輿担ぎ、運動会の場所取り、稲刈りシーズンの手伝いなどに出席して、地域コミュニティとの関係性を作っておくことが重要になるのです。

仕事が残っているのであれば、残業してでも終わらせるべきだ、というのは貨幣経済中心の東京では当たり前の論理ですが、物々交換経済、貸し借り経済、自給経済も並列している地方の経済であれば、例え貨幣を得るための仕事が終わっていなくても、その他3つの経済にも対応するために、残業せずに同級生との飲み会や地区の会合を優先するという選択肢も妥当になるのです。東京にいると貨幣経済が大部分を占める経済モデルのため、貨幣を得ることが得意でない人は非常に苦しい生活を強いられますが、物々交換、貸し借り、自給のそれぞれの経済パターンもある地方であれば、その他の経済パターンが補完してくれるのでリスクヘッジが効き精神的にも楽になるでしょう。 物々交換や貸し借り経済を成立させるための活動がめんどくさいという人は東京の貨幣経済に集中すればいいし、貨幣を得るのが得意ではないな、、、という人は地方で生活し他の経済パターンも取り入れた生活をする、という選択も合理的かもしれません。


 経済パターンが構築されるためには、何に信用が置かれているか、ということが肝になります。貨幣経済はお金に信用が置かれています。しかし、地方の経済はお金以外にも信用の拠り所はたくさんあって、物々交換経済であればモノそのものに信用があり、貸し借り経済は◯◯家だったり、個人に信用があり、自給経済は肥沃な大地や良質な漁場に信用があるわけです。地方に行けば行くほど経済のパターンが複数化し、安定したポートフォリオが組めるようになります。地方では確かに平均所得は東京よりも低くなりますが、その低くなっている金額部分を数値化出来ないその他の経済パターンで穴埋めしているわけです。これが平均所得や地域経済の数字からでは見えてこない地方の経済の実情なのです。
  

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2016年10月07日

ヤフーの新卒一括採用廃止は地方にどんな影響をあたえるか。

ヤフーが新卒一括採用を廃止したニュースを見て、この流れの先に地方都市はどうするのかということをぼーっと考えておりまして、まだまだ結論はでていないのですが、途中経過的に書き留めておきたいと思います。


ヤフーのようなネームバリューがあり、待遇も良い企業であれば、新卒に特化した採用を行わないのは非常に合理的だと思います。そもそも有能な人も転職してきてくれるでしょうし、何より強力なメディアとデータが蓄積されているわけで、入社してほしいような人にリーチすることも出来るはずです。活躍するかどうか分からない社会人経験の無い学生を正社員として採用するメリットはほとんど無いわけです。よく「新卒は会社の文化に染まってくれる」というメリットをあげる人もいますが、ヤフーのように常に新しいサービスを時代に合わせて展開して行かなければいけない会社であれば、様々バックグラウンドを持った人が働く多様性を担保したほうが、結果的には会社のためになるでしょう。

この「新卒一括採用廃止」の流れは、採用力のある会社(ネームバリューがあったり待遇がいい会社)から順々に進んでいくと思います。新卒一括採用は採用力のある会社にとっては非合理的な制度だからです。でもそもそも、なぜこの新卒一括採用という世界的にも非常に珍しい制度が維持できていたのでしょうか。それは日本の終身雇用の企業文化とリクルートのビジネスモデルの存在が非常に大きかったわけです。

今回のヤフーの発表で一番打撃を受ける企業はリクルートでしょう。なぜなら彼らは新卒一括採用の文化(というか制度)を守り続けることで、自社のビジネスモデルが成立していたからです。リクナビにはほぼ100%の就職活動している大学生が会員登録しており、その人たちに対してリーチをすることで求人企業からお金をもらうというビジネスモデルです。これはリクルート(と新卒生)が持っている既得権益であって、もし新卒一括採用が無くなれば、大学3年生でインターンに行って、4年生になったらエントリーシートを書いて、SPIを受けて、というリクルートが頑張って普及させてきた就職活動の流れが変わり、新卒リクナビのビジネスモデルが崩壊しかねないわけです。(もちろんリクルートは中途採用の領域にも入っているので、あくまでもいわゆる新卒向けのリクナビが打撃を受け、そのかわり中途採用の方が伸びる可能性があるわけですが)

ちなみに、リクルートはこの新卒一括採用のモデルを社会に根付かせた上で、自社が勝てるビジネスモデルを展開してきました。 入社半年の1年目と入社10年目のベテランのパフォーマンスが変わらない(ときには新卒の方が高い)ように教育制度&ビジネスモデルを中心に事業化してきました。(ホットペッパーとかホットペッパービューティーとかは好例)なので、学習能力の高い偏差値の高い学生を採用し教育し短期間でパフォーマンスを上げさせる。人件費が高くなる40歳までには転職や起業してリクルートをやめてもらうことで販管費の上昇を防ぎ、高い利益率を維持する事業モデルを確立してきました。本当によく考えられた素晴らしい経営戦略だなーとつくづく思います。


さて今後、ヤフーのように新卒一括採用を廃止する企業が増えてくると何が起こるのか。
まずは失業率の上昇です。日本は諸外国に比べて非常に低い失業率を維持してきました。これは新卒一括採用の制度が果たした役割は非常に大きいわけで、事実諸外国では若年層の失業率が非常に高いわけです。終身雇用制度が無い国であれば例えポテンシャルがあっても、なんのスキルもない若者を雇用し、教育コストを自社で負担する合理的な理由はありません。それよりもすぐにでも会社に貢献してくれるスキル・経験を持った人を採用したいわけです。僕も昔バックパッカーでアジアをフラフラしていたとき、アメリカ・ヨーロッパの大学を卒業したあと就職せずに旅をしている若者にたくさん出会いました。彼らは口をそろえて「今はいろんなものを見て体験して経験を積むときなんだ」と言ってました。要は、大学卒業してすぐにはスキルも経験も足りず就職できないのです。

日本の新卒採用は同じ大学生がライバルでした。しかし同じ大学生であるためそこまで差がつく事はありませんでした。ボクシングで言うと同じ階級の相手と試合ができていたわけです。しかし、これからは「大学時代はテニスサークルの代表と、バイト先の居酒屋ではバイトリーダーをやってました!」という22歳の新卒と「前職では◯◯銀行や◯◯省のシステムの構築をやってました。JAVA、PHP、C言語は扱えます!」という28歳のバリバリのエンジニアが同じ土俵で戦うわけで、もうこれは圧倒的に新卒が不利なわけです。ボクシング歴3ヶ月の50kgとボクシング歴10年の無差別級が本気で試合をするわけです。もう完全に勝ち目はありません。


日本は新卒の教育コストを主に企業が負担していました。しかし、今後そのコストを企業が負担しないとなると誰が負担をするのか。一番の候補としては大学です。しかしいまだに多くの大学が「大学はアカデミックな場で、勉強や研究するところだ」とか言いながら、就職のための技能習得は後回しにしています。となると、結局はその教育コストを払うのは学生自身(もしくは親)になります。


大学の間にいかにして企業の採用水準まで成長できるかが非常に大事なポイントになります。となるとできるだけ早いうちから就業経験を積み、スキルを上げていく必要で、それは大学の座学だけでは得られません。それは「時間をお金と交換するアルバイト」ではなく、もっと踏み込んで「時間をスキル・知見と交換する濃い職業体験」であることが求められ、それはまさにインターンシップに行き着きます。(もちろんアルバイトでも視点と好奇心の持ちようではスキル・知見が身につきます)


そして、今回のヤフーの発表でほとんどの人が気にしていないが不思議なのですが、18歳~29歳を対象にしたポテンシャル採用を新設しています。これってつまり「大学在学中でもいい人がいれば採用します!」というわけです。少なくとも大学を卒業することが仕事で高いパフォーマンスを発揮することにおいて重要な要素では無い、というヤフーからの意思表示であって、今後は大学在学中ですがヤフーに内定がでたので退学します。という学生が出て来る可能性が高い。無名大学を卒業することより、大学を中退してでもファーストキャリアがヤフーの方が今後のキャリアの幅が広がりそうですよね。しかも高い学費を払う必要も無い。となると、もし本当にヤフーのような採用形態が広がっていくと、高校卒業からすでに就職活動(もっと大きなキャリア設計の活動)が始まるわけです。

さて、それを前提に考えたときに、地方はどういうポジショニングがあるのか。
学生は大学時代に職業経験を積まなくては行けないので、地方はその舞台を用意する。これまでも新卒採用をしいという地場企業はごまんとありました。しかし学生にとってリクナビに載ってない企業は採用してないと(意図的に)思い込まされており、その結果、高いリクナビに掲載しなければなりませんでした。しかしリクルートが作った採用活動のルール上では採用予算を桁違いに持っている東京の企業が圧倒的に有利で、結果として新卒採用はできず、ハローワーク経由か縁故による採用しかできませんでした。

しかし、これから採用活動のルールは大きく変わってきています。大学生のうちからちゃんと職業体験を経てスキルなり、経験なりを持ち合わせていないと、卒業してから就職が出来ない。そうなると、より就職に直結する高い経験値を求めます。大学を卒業して採用予算のある会社に人材を取られ続けていった地方都市は慢性的な人手不足です。しかし、これからは大学生も積極的にインターンシップに参加する。そうなると宮崎のような地方都市の企業も早くから大学生の接点が持てるわけで、これは人材の地元定着に追い風になります。少なくとも大学時代はパチンコ屋でバイト&サークルして、リクナビで就職活動して東京の企業に内定して宮崎を離れていた大学生が少しは減る可能性がある。今後は大学生が地場の企業でインターンをすることで、学生は就職活動のための経験値アップ。企業は人材確保の手段獲得として両者の利害が一致するため、インターンシップが普及していくことになると思います。

大学も望むも望まざるもその波に飲まれていくことになるでしょう。人生の中で深く研究することは大事だ!というアカデミックな思想も大切だとは思いますが、世の中の力学は常に変わっていきます。変われないものは、とって替えられる。今回のヤフーの新卒一括採用廃止の発表は、リクルートの新卒向けリクナビだけでなく、大学の役割に大きな変化がもたらされるんだと思います。

その意味で、宮崎大学の地域資源創生学部の役割は非常に大きいし、インターンシップの専門のスタッフや、キャリア支援の専門のスタッフが着任したことは素晴らしく追い風です。「変わらないものは、とって替えられる。」これからの変化にワクワクしています!

追伸
こんなコトを言ってますが、全く何も出来ない新卒だった僕の教育コストを負担してくれたリクルートにはとっても感謝しています。

  

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2016年06月04日

シェアリングエコノミーが「市場の失敗」を再び市場化する

地方は人口が減り、マーケットが縮小していくので、パイの取り合いになって競争が激化するといわれることがしばしばあります。確かに人口が減れば地域のマーケット規模が縮小していくのですが、競争が激化する、というのは、すこし違ったりします。なぜなら、地域のマーケットは縮小していくのですが、定年での引退や進学・就職での転出などで、地域マーケットの縮小以上の割合で生産年齢人口が減少していっています。なので結果的に一人の労働者が消費者に提供しなければいけない商品・サービスは増えていくことになります。例えば、昔は1日100個売れていたパン屋さんの場合、地域の人口は減ってマーケットは縮小していますが、競合のパン屋さんが高齢化、跡継ぎ不足等々で閉店していき、今では1日120個売れたりします。

それと同時に、圧倒的な人手不足が発生しています。一人が提供しなければいけない商品・サービスは増えていくのですが、定年で引退したり若者が都市部に流出したりして、働く人が少なく、採用ができません。その結果、仕事はたくさんあるのですが、働く人がおらず事業拡大はおろか、事業の継続すら危ぶまれている企業が多く存在しています。事実、廃業している企業の多くは利益が上がらずに廃業しているのではなく、人手不足、後継者不足によって廃業しています。

ということで、地域が本当に取り組まなければならない問題は「生産性の向上」です。提供できる商品・サービスをいかに効率的に増やしていくかに真剣に取り組まないと、ただでさえ人手不足で採用がままならないなか、事業が拡大することが無いのはもちろん、従業員の定年・引退により事業縮小、最悪の場合廃業に追い込まれていきます。

そこで最近、よく取り上げられるのが「シェアリングエコノミー」です。シェアリングエコノミーとは、わかりやすく言うと、リソース(労働力やお金、機会)の無駄を無くし、最適配分を行うというもの。おもにITインターネットの発達により、生まれてきた概念です。例えば、クラウドソーシングは、人々の空き時間をネットワーク化して、仕事の受給マッチングを行う場所としてつかわれていますし、AirBnBは空いている部屋を宿泊施設として活用できるサービスです。(日本では法整備がまだなので、グレーゾーンですが)

このシェアリングエコノミーは労働力不足の地方にとってうまく活用することで、生産性の向上が期待できます。例えばクロネコヤマトとバス会社の宮崎交通が提携して、「貨客混載」したバスの運行を始めています。宮崎交通にとっては過疎地域でも路線維持を行うことができ、ヤマト運輸にとっては人がわざわざ山奥まで届ける必要がなくなるので(=コスト削減)、お互いにとって利害が一致したモデルです。また先日、宮崎県日南市にオフィスを持つIT企業のポート株式会社と日南市が協力して、遠隔医療の実証に取り組むことが発表されました。これは日南市の無医村地域を対象として、簡単な診療であればタブレットなどを使って病院で対面しなくても診療を受けられる、というものでこれも山間地域での公共交通網の減少とICTの発達により実施にいたりました。住民の住み慣れた場所に住みたい、というニーズに税金をかけずに応えていく素晴らしい取り組みだと思います。

民間サービスが介入できない部分(=市場の失敗)を行政サービスとして補完する、という社会システムを長らく敷いてきましたが、「労働力不足の深刻化」と「ICTの発展」によりこの仕組が大きく変わる可能性があります。例えば、地方のバス・タクシーを運営する交通会社は乗務員が確保できずサービスエリアを拡大できなかったりします。民のサービスで対応出来ない場合、これまでは行政がコミュニティバスを運営したりして対応してきましたが、毎年多くの費用が税金で賄われていました。しかしこれからはUBERのような自動車配車サービスが部分的に解禁される可能性も期待できます。ほかには、急増する外国人観光客の宿泊需要に対応するためにホテルを作りたくても従業員の確保が難しく断念するケースが地方で発生しています。そんな時はAirBnBのような空き部屋、空き家を宿泊客に貸せるサービスが有効になるかもしれません。

このように、これまでは「市場の失敗」部分は行政が税金でサービスを維持してきましたが、シェアリングエコノミーが普及していくことで、再び「市場化」することができるようになります。再び市場化されることで、民間サービスが参入する余地が生まれるので、財政に負担をかけずに地域サービスを継続することができます。「市場の失敗」とされる部分をITと規制緩和で「再市場化」することで地域運営を行っていく手法が、官民連携の事例として増えてくるといいなー、と思ったりしています。
  

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2016年03月10日

民間企業と行政機関の「官民連携事業」はなぜあんなにもうまくいかないのか。

地方創生がバズワードになり、全国各地で叫ばれています。そんな中、地方創生の名のもとに民間の力を活用した「官民連携事業」というのが増えてきています。しかし、その多くは決してうまくいってるとは言えず、民間も行政も互いに不幸な状況に陥っています。

民間企業と行政機関と両方で働いている経験を持ってる人ってそんなに多くないせいか、「行政と民間で一番違うところはどこですか?」とか「民間から行政に入ってびっくりしたことは何ですか?」みたいな質問をたびたびされます。個人的には官民で転職しあったりするキャリアが一般的になればいいのになー、とか思ってるんですが、(すこしづつ増えてきているとはいえども)実際はまだまだ少ないようです。

民間と行政の違いってどういうところですか? という質問に対しては、「料理の手順の違いみたいなものですよ」って答えるようにしています。 どういうことかと言うと、食材を見て何を作るかを決めるのが民間企業の仕事の進め方。作る料理を決めて、それからスーパーに食材を買いに行くのが行政の仕事の進め方です。現代風に例えると、クックパッドでいきなり料理名で検索するか、冷蔵庫にある食材を入力して料理を探すかの違いですね。

民間企業はじゃがいも、人参、カレールウがあるのを見て、じゃあ、あとは玉ねぎと牛肉を買ってきて、ビーフカレーを作ろう!という意思決定がされます。行政機関の場合、まず「ビーフカレーを作る!」と決めてからスーパーに人参、玉ねぎ、じゃがいも、牛肉、カレールウを買いに行きます。民間企業の場合は冷蔵庫にある食材をベースに料理をするので、コストは安くなります。しかし、もし鶏肉が特売日で安く販売されていれば、急遽、チキンカレーに変更になることもあります。結果的に安く美味しいものができればいいという考え方です。逆に行政機関の場合は「ビーフカレーを作ろう!」と決め、スーパーに行きレシピにとおりの食材をきちっと買ってきます。もし、牛肉よりも鶏肉の方が安く新鮮であってもチキンカレーに変更せず、牛肉を買います。もし牛肉が売り切れていたとしても、牛肉が入荷されるのを待ちます。その結果、必ずビーフカレーは完成するのですが、すべての食材をイチから買い集めるためコストは高く、すべての食材が揃うのを待つため食材が古くなりがちで、鮮度は落ちてしまいます。 

民間企業は臨機応変にその時その時の状況の変化に対応しながら料理をします。ビーフカレーを作ると言うのは大まかな方向性であり、あくまで最終目的は美味しい料理を安く作ることです。ですので料理の過程で臨機応変に対応し、最終的には美味しい料理を作ることにこだわります。その一方で行政機関の場合はあくまでビーフカレーを作ることは方針ではなく目的なので、必ずビーフカレーを作ることにこだわります。途中で(たとえそちらのほうが美味しく、安くできるとしても)チキンカレーに変更することは許されません。なので食材が全部揃うのに時間がかかっても少々コストが高くついても必ずビーフカレーを完成させます。

このように料理の進め方の違いがある民間企業と行政機関が一緒に仕事をする場合は、お互いの料理の進め方の違いを理解しておかないと必ず揉めることになります。官民連携して「ビーフカレーを作ろう!」とスタートしても、行政機関は料理の食材が完璧に揃える準備からはじめます。予めスーパーに何がおいてあるのかをちゃんと確認して、すべての食材がちゃんと揃うことを確認してから買い物に行きます。対して民間企業は「いやいや、冷蔵庫にじゃがいもと玉ねぎあるから、これ使おうよ」と言っても、行政機関は「いやお金はすでに準備してしまったのでスーパーに行って買う。」と譲りません。途中で新鮮な鶏肉が安く手に入ったり、牛肉が売り切れていたとしても、行政機関にとっては「ビーフカーレー」を作ることが目的なので、チキンカレーに変更してはいけないのです。行政機関からすると民間企業から途中でチキンカレーに変更しよう!という提案をされること自体が驚きなのです。民間企業からすると少しでも美味しいものが作れるので提案したのに、行政機関からすると「ビーフカレーを作ろう」と約束したのに、途中で変えるなんていい加減なやつだ!となります(笑)

民間企業は常に自社のリソース(ヒト、モノ、カネ、ノウハウ、情報など)を最小限に、マーケットに評価される価値の高いモノ、サービスを作ろうとします。しかし、行政の場合は政策があって、それに対して予算なり担当部署なりが決まっていきます。 空き地を活用する場合で言うと、民間企業が主体でやると、土地の状況を見て、その条件下においてどのように開発をすれば利益が最大になるかを考えます。その結果、ショッピングモールや、マンションや、オフィスビルなどが建設されたりします。しかし、行政が主体でやると、子育て施設なり、福祉施設なり、スポーツ公園なり、まず何を作るのかが決まって、それからそれを作るために材料を集め出します。そして必ず計画した通りのものが建設されることになります。

 特に地方創生が叫ばれる昨今、官民連携の大切さが全国で言われているにもかかわらず、ほとんどがうまくいってません。それは両者が相手の仕事の進め方に違いがあることを想定せず、違いがあると気がついてもその進め方を理解しようとせずに、自分たちのやり方を押し通してしまうから、だと思っています。従来の公共事業のような行政が発注者、民間企業が受注者といういわゆる「縦の関係(※あくまでわかりやすい表現として)」であれば、民間企業が行政の仕事の進め方に合わせてあげていました。(その代わり、結構な手間賃が上乗せされてますが) しかしながら、受発注者の関係ではなく、お互いが地域のために仕事をしていこうと水平の関係で官民連携という体制をとった瞬間、この料理の手順の違い問題が表面化します。「ビーフカレーを作る」というのはあくまで、「ビーフカレーのような美味しい料理を安く作る!」という民間企業の認識と、「ビーフカレーと言ったらなんとしてでもビーフカレーを作る!」という行政機関の認識がずれたまま、官民連携の綺麗なお題目のもと仕事をすると必ず、お互いが自分の主張を繰り返し、最終的に喧嘩別れになってしまうのです。そして、行政は遅い、縦割り、コスト意識がないと民間企業が文句を言い、民間は利益ばかり重視し、朝令暮改的でコロコロ変わる、と行政が文句を言うのです。

 というわけで、僕が言いたいのは民間のやり方がいい悪いとか、そういうことでなくて、お互い目的も、意思決定の過程も、ステークホルダーも違う組織ということを前提として、それでもお互いに官民連携事業の目的、趣旨を常にすり合わせをし、相手を尊重して理解しようとする姿勢を互いに持つことが官民連携事業を成功に導くために最も大切なことなんじゃないかな、ということでした。

あー、おなか減った。ビーフカレーでも食べよ。
  

Posted by たじぃ at 17:50Comments(2)

2015年09月10日

地域で必要な人材は価値を生み出す人ではなく、「だれにとって価値があるのか」が分かる人

先日、朝日新聞さんが出してるAERAという雑誌に取材をいただきました。内容はソーシャル採用サービスを展開しているWANTEDLYさんと一緒にUIターンの人材募集をしたのですが、それがすっごく上手くいった、という内容です。


 募集した仕事は日南に根付いた体験型観光のプログラムを作る、というもので、WANTEDLYを見たホテルマンで日南出身の谷口和樹くんが応募してくれました。彼はたくさんの体験プログラムを作っているのですが、その中でも秀逸だったのが「カブトムシ取り名人と行く、カブトムシ取りツアー」というプログラム。カブトムシ取り名人と言っても、地元でちょっと虫取りが上手なおじちゃんという具合です。その地元のおじちゃんと一緒に山にカブトムシを取りに行くなんて、そもそもツアーと呼べるものなのかも怪しいのですが(笑)、これが大盛況で、結局キャンセル待ちが出るほどで、日南市外からの参加者が目立ちました。


 なぜ、虫取りが上手な地元のおじちゃんとカブトムシを取りに行く、というツアーが大盛況だったのか。これこそ、谷口くんの卓越したマーケットを読む力が発揮されたツアーでした。例えば戦後間もない頃であれば、男の子であれば山でカブトムシを採れて当たり前、という時代だったと思います。これが高度経済成長期になると彼らは大人になり都市に引っ越していきます。もちろん山でカブトムシを採るという機会は激減します。しかし彼らは幼少期に山でカブトムシを採る、という経験があるので、カブトムシはどんなところにいるのか、(昆虫の餌用のゼリーではなく)自然界では何を食べているのか。どうやったら採れるのかを子どもに説明してあげることができます。里帰りした時などに子どもに教えてあげることもできます。


 しかし、世代が入れ替わって、都会で生まれて都会で育った子どもが親になる時代になりました。いざ自分が親になって、子どもとカブトムシ採りに山に行こうと思っても、自分の経験として山の中でカブトムシを採った経験がほとんどないので、どうやれば採れるかが分かりません。そうなると、地元にいるカブトムシ採り名人と一緒に山に行って、教えてもらいながらカブトムシを採ることで自然の仕組みを学ぶという機会に価値を感じる人が生まれてくるわけです。昔は「カブトムシ」に価値があったので、子どもはこぞって山でカブトムシを捕まえていましたし、ホームセンターでは200円で売っていました。しかし、カブトムシを採る経験を持つ人が少なくなると、今度はカブトムシ単体よりも「山でカブトムシを採ることで自然を学ぶ」という経験に価値が生まれてくるようになります。


 これまで、地方は何もないから何かを作ることに重きが置かれていました。例えば国の補助金なんかを見ていても「商品開発」に関するメニューがずらっと並んでいます。なので、これまで地方は補助金が出る「商品開発」ばかりに注力して、目の前にあるものの価値を見つめてきませんでした。しかし、これから地方に必要なのは「今あるものは誰にとってどんな価値がどれくらいあるのかが分かる」という力(センス)を持った人。谷口くんの手がけた「カブトムシ採り名人と行く、カブトムシ採りツアー」は、都市で生まれ育った親にとって、子どもに自然体験させるという価値が、1日かけて数千円払う、くらいの価値があったわけです。カブトムシに価値があるのではなく、カブトムシを採りに行くことに価値があると見抜いたセンスは素晴らしいと思います。昔のように経済が右肩上がりの時はガンガン補助金使って「カブトムシの館」みたいなレジャー施設を作っても良かったのかもしれません。しかし、社会保障費が毎年1兆円ずつ増え、国債の返済も増え、みたいな財政状況のなかでは現実的ではありません。こういったマーケットが求めている価値に気が付き、その価値を流通させる能力はまさに巨大マーケットを相手に第一線で仕事をしてきた人こそ持っている能力です。ぜひ、このブログを読まれている都市圏でバリバリ仕事をしているあなた!以前のブログで書いたように地方には仕事がたくさんあります。ありすぎて人手が足りません。ぜひ、日南で豊かな生活を送ってみませんか?(笑)

そんな方は日南市役所までお問い合わせください♬
マーケティング推進室 : 0987-31-1169


  

Posted by たじぃ at 13:54Comments(0)

2015年04月26日

なぜ地方選挙は盛り上がらないのか。

 今日は統一地方選挙の投票日。12時時点での投票率速報が各自治体から出てきていますが、ほとんどは前回を下回っていますね。おそらく、このまま行って投票率は前回より下がったり、過去最低の水準の投票率を記録したりするところも多いかと思います。今回の統一地方選挙で目立ったのが、無投票選挙区が多いこと。特に市町村議会議員選挙は多くの所で無投票となり、選挙が行われないまま再選をする議員さんも多いですね。調べてみると、今回は全国の3.6%の議員さんが無投票で再選されており、これは年々上昇傾向にあり過去最高の数値とのこと。ちなみに、首長(市長とか長長)選挙も過去最高水準で無投票当選になっています。でもそもそもなぜ投票率も下がり、無投票選挙区が多くなってきているのでしょうか。

 今の若者は政治に無関心だ!とか、政治家という職業に魅力が無い!とか言われていますが、もう少し掘り下げてみると、無投票区の増加の理由は大きく分けると二つになっています。


 一つ目は、地域コミュニティが希薄化していること。これはどういうことかというと、そもそも地方議員が獲得する票のうち「地元票」と言うのはとっても大切になります。自分の地域の声を行政に届けてもらう代表者という位置づけが近いですね。実際、県議会選挙と国会議員選挙は地域ごとに選挙区が分かれていて、各地域の代表として都道府県や国の政策に反映させうる仕組みができています。市町村の場合もどこの地域の候補者か、というのは誰に投票するかにおいて重要です。しかしながら、そもそも地域コミュニティに参加する人が減れば、地域の声を行政に届ける必要性も少なくなるわけですから、地元に議員がいる必要性も少なくなる訳ですね。昔は「地元から何とかして議員を出さなければ、地元の要望が通らない!」という時期があったかと思うのですが、時代が進むに連れそういう風潮も無くなってきました。ただ、これは見方を変えると、道路とか下水とか学校とかのインフラが整備されて地元の声を行政に届けなくても良くなってきた、ということもあるかもしれません。いずれにせよ地域コミュニティの希薄化が、地元の議員を議会に送る必要性の低下に繋がり、結果として地元から候補者を立てる、ということが少なくなってきたんだと思います。


 二つ目は、相対的に官より民が強くなったこと。どういうことかと言うと、以前は各業界を代表する議員が多くいらっしゃいました。建設業組合や、医師会、農協などの業界、組合を支持母体とする議員です。戦後以降暫くの間、(地方では今でも!?)民よりも官の方が強い時代が続きました。土木建設業にとっては公共事業がどれだけ行われるかが、業界にとってメチャクチャ重要でしたし、農業も強固な規制を敷くことで、国内の農業・農家を守ってきた側面もあります。そんな業界にとっては予算の配分を決める行政機関のチェックや、ルール・法律作りまで行える議員を業界から出すことはとっても大事だったわけです。民より官が強い場合では、業界の声を行政に届けることができる業界を代表する議員がいるのといないのでは、本業に大きく影響します。なので、業界から議員を立てその議員を業界全体で応援する。それが結果として業界の利益に繋がるため、必死に候補者探しをしていたわけです。しかし、今や地方でさえも第三次産業の比率が高まり、一次産業の農林水産業や、第二次産業の建設業、工業の比率は低下しています。さらに公共事業だけでなく、民間投資も行われるようになり、昔に比べると相対的に民の方が官よりも強くなっているわけです。その結果として行政(≒官)への依存度が低下し、業界の声を行政に届ける議員の立候補者を立てるインセンティブが低下しているわけです。


  実際、立候補者が減れば、その分だけ支持者も減るわけで、立候補者の減少が投票率の低下につながっていくわけです。とくに若者の投票率が下がっていることに対して、「今の若者は政治に無関心すぎる」と言っているテレビ番組もありますが、若者の投票率が低いのは地域コミュニティの結びつきや、業界自体の官への依存度が減っているからなのです。(昔は会社で「この候補者に投票しろよ!」みたいなことがあったとも聞きますし、、、。) 


 そうやって、一部の「地域」や「業界」の声を政策に反映しなくてもいい、と思って投票に行かない人が増えれば増えるほど、結果として従来型の「地域の代表」や「業界の代表」の議員の声が通りやすくなります。予算の使い方、政策方針などは投票者してくれる人に有利に流れていってしまいます。(悲しいかなこれが現時点での民主主義の仕組みです。)なので、投票に行かないという人は、どんな地域、国になっても受け入れるよ!という超包容力のある人(もしくはドMの人、笑)か、日本じゃなくても世界どこでも暮らせるスキルを持った能力の高い人だけなはずです。(僕はいずれでも無いので、ちゃんと投票に行きます。ちなみに少しMだと思います。)


 (特に若い方へのメッセージなるのですが)自分ひとりが選挙に行っても会は変わらないという想いも分かります。ただ、若いあなたが投票に行かないことで、社会のしわ寄せを若い世代が受けなければならない、ということにつながっています。「社会を変えるために」投票に行くという高い期待を持っていると疲れますが、「若い自分たちが割を食わないように」投票だけには行っておく、という少し軽い気持ちで投票に行くことも大事なんじゃないかなと思っています。

  

Posted by たじぃ at 16:37Comments(0)