2017年04月13日

「目的」と「目標」が乖離してしまう残念な地方創生

日本の人口は2008年の1億2800万人を頂点に減少局面に入りました。それ以降ばらつきはあるものの毎年20万人のペースで人口は減少し続けています。このままでは日本の将来人口は2030年に1億1600万人。1億人の大台は2041年に下回ってしまうと言われています。それまで日本の人口が減少することを政府は事前に把握できてなかったかというと、もちろん把握できていました。人口問題の際に必ず持ち出される指標に「合計特殊出生率(一人の女性が生涯で出産する子供の数)」がありますが、人口を維持するためには2.06が必要とされています。この合計特殊出生率は1974年に2.06を下回り、現在は1.4あたりを推移しています。つまりこの合計特殊出生率を見ていると必ず人口減少局面に突入することは分かっていたわけです。ではなぜ、最近になるまでほとんど対策されず、話題にもならなかったのでしょうか。 それは政府もメディアも「人口の絶対数」しか見てなかったからでしょう。1974年に2.06を切ったにも関わらず2008年までの34年間も人口は増え続けていました。それは、医療技術の発達などにより年寄りの寿命が伸びていったからです。生まれる子供は減ってきているけれど、お年寄りが長生きするようになったので、合計特殊出生率が2.06をきってからも34年間人口が増えていったわけです。人口の絶対数しか見てないと、「人口は増えてるよね。安心安心。」という結論で落ち着くわけです。





しかし、今後は人口減少の勢いは加速しています。「そろそろ人口が減りだしたので、対策をしましょう!」といまさら言っても、合計特殊出生率が2.06を切ってからの34年間の助走をつけた上で減少に転じているわけです。早い段階で対策していればまだ傷口は浅いものの、思いっきり助走を付けられて人口減少に突入しているので、人口減少を止めることはもちろん、減少率を緩和することも困難を極めます。

最近流行りの地方創生の取り組みはこの人口減少をすこしでも緩和することを目的の一つとして取り組まれています。毎年500人が減っていれば、それを300人に押さえて、30年後に人口◯万人の維持を目指しましょう、という具合ですね。自治体の施策の中に目標数値を入れるということ自体は素晴らしいことだと思うのですが、この目標が「人口の絶対数」ということには気を付けなければいけません。

前回のエントリーである残念な地方創生「問題」と「課題」とも共通しますが、目標と目的の意味は似ているようで全然違います。目標というのは「標(しるべ)」と書くようにどこか行きたい場所があり、そこに向かうために参考にする案内板のような意味です。実際の案内板にも◯◯まであと5kmと書いてあるように、目標は数値化もしくは言語化されています。目的は「的(まと)」と書くように到達したい、もしくは到達すべき場所、状態のこと指し、必ず数値化・言語化できるとは限りません。ボーリングではレーンの途中に横に並んだ5つの三角印があります。その印(=標)を参考にして玉を投げると狙ったピン(=的)に当たるという関係が、まさに目標と目的の関係になります。

では地方創生における目標と目的は何か。目標は先述したように「年間で減少する人口を◯◯人から、△△人に緩和する。」「移住者を年間☓☓人にする」とか数値化できるものです。では目的は何かというと、「東京一極集中を是正し地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力をあげること」というのが政府見解です。それを踏まえて地方にとっての目的は何かというと、「地域に根ざす伝統や文化、産業、経済などを次世代(=若者)につなぎ、進化させ、地域の持続可能性を高める」ということになるでしょう。地域の人口をある程度維持し、伝統、文化、産業、経済を維持発展することが、国全体の活力につながります。

政府にとっても地方にとっても広義の目的は「持続可能性を高めること」です。その目的に到達するための標として、地方の人口を増やすことが設定されているわけです。(厳密に言うと地方財政と国家財政の話もありますが、それはまた機会があれば)

では、その目的を達成するための目標が人口の絶対数で間違いないのでしょうか。この人口の絶対数を追いかけて施策を打てば地方の持続可能性が高まり、国の活力があがるのでしょうか? 答えはノーのケースもある、というものです。 当たり前の話ですが、生まれたての赤ちゃんと、働き盛りのビジネスパーソンと100歳のおばあちゃんは同じ人口1人でも、その役割や必要な社会的援助は全然違います。そのような幅広い年齢の人を一人、とカウントし、目標に設定することは間違った標になりかねないのです。 地方創生に文脈において度々「人口減少が問題だ」という語り方をされるケースがありますが、厳密に言うと、人口減少自体が問題なのではありません。地域にとっての本当の問題はその地域の持続可能性が損なわれ、地域が消滅してしまうことです。それを防ぐために地域の持続可能性高めることが大事なのです。(詳細は問題と課題を混合する残念な地方創生にて)

では、地域の持続可能性を高めるためには何を標としなければならないのか。それは「地域の人口構成をドラム缶状に整える」ことです。その地域の適切な人口は、面積や産業、交通事情、周辺の地域との兼ね合いなどで変わってきます。しかし、どんな地域においても、この人口構造が歪(いびつ)であれば、その地域の持続可能性は損なわれていきます。高校卒業したら全員が都会に出てしまって帰ってこなければ、そのうちその地域から出産適齢期の女性がいなくなり、子供が生まれなくなります。逆に子供がたくさん生まれ、若い人がどんどん増えてくれば(昔の日本がそうであったように)働き口が不足してしまいます。地方で廃校が増える問題も、都会で待機児童が出る問題も人口減少自体が原因なのではなく、「人口構造が歪なること」で発生します。逆に地域の人口構成が各世代同じ人数になっていれば(歪がなくドラム缶状になっていれば)、あたらしく幼稚園を作る必要もなく、介護施設を作る必要もなく、今あるインフラを維持修繕していけばいいわけなので、財政的にも負担をかけません。つまり、地方創生の地方側の目標は人口の絶対数に置くのではなく、世代間人口の歪みの是正に置くべきで、各年齢層の歪みを何%以内にする、といった数値を目標にしなければなりません。目標が人口の絶対数だと、お年寄りを全国から誘致しようとか、極論を言うと延命治療に注力して人口減少を緩和しよう、といった施策も選択肢に入ってきます。倫理的な問題が絡みますが、少なくとも地方創生の意図とは少し離れてしまいますよね。目標は目的との最短距離上に設定することを心がけないといけません。そうでなけば、目標は達成しているけれど、どんどん目的から離れていく、といった疲労感しか残らない残念な状況に追い込まれる可能性があるのです。

冒頭でこのまま行くと2041年に1億人を切ると書きました。人口1億人といえば、1966年の頃です。人口問題に関心が薄い理由の一つが「人口を年齢別構成でなく絶対数でみてしまう」ということです。「1966年のころは1億人でもすっごく賑わいがあったよ!」と昔を思い出して言う人がますが、1966年の日本の平均年齢は29歳でした。生産年齢人口がどんどん増えるときの1億人と、高齢者人口がどんどん増えるときの1億人は全く違う1億人なのです。人口の絶対数ではなく、人口構成を見なければ、問題の重大さや、その問題解決のための課題設定はできないのです。

解決すべき問題を特定し、問題が解決されるための課題を設定する。そして、その課題を正確に素早く取り組み、改善を重ねていく。前回のエントリーである「問題」と「課題」を混同する残念な地方創生につながりますが、正確に問題の把握をすることが、筋の良い課題は設定できません。地方にとっての問題は「人口が減る」ことではなく、「人口構造(ピラミッド)が崩れること」です。それを見逃して手当たり次第課題を設定しても、地域はさらに疲弊していくだけなのです。



 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

<?=$this->translate->_('削除')?>
「目的」と「目標」が乖離してしまう残念な地方創生
    コメント(0)