2019年04月29日

社会人生活10年を振り返ってみたので就職活動中の大学生は反面教師にしてね


まちには就職活動中と見られる大学生が増えてきました。「きっといろんな葛藤を抱えたまま誰かが敷いた就職活動というレールを走らされているんだろうな。そして結局はそのレールを敷いた人が一番得をする仕組みになっていることを知らないままに。」などと思いながら陰ながら応援しているわけですが。


社会人生活10年を振り返ってみたので就職活動中の大学生は反面教師にしてね






さて僕は2009年に大学を卒業して就職したので、今年で社会人生活10年が経ちました。10年の間で働いた場所は東京、中国(上海・北京)、宮崎。所属した組織は大企業、ベンチャー企業、地方自治体。雇用形態は正社員、フリーランス、経営者と、いろんな場所でいろんな組織でいろんな形態で働いてきました。


 この10年間を振り返って、もし自分が大学生に戻りもう一度就職活動をするのであればどのような視点で行うのかを考えてみました。日頃多くの大学生と交流する機会があり、就職活動の相談を受けることがあります。そんな彼らにとって何かのヒントになればいいなと思いまとめてみます。

これから定期的に以下の3つについてまとめてみます。就職活動に限らずキャリア選択の度に使える基準ですので、多くの方に参考にしていただけるかと思います。
① 就職先を決めるただ一つの基準。それは人生の選択肢が増えるか。
② 社会には2つの仕事がある。誰かが決めたルールを運用する仕事と、誰かが運用してくれるルールを作る仕事
③お金の稼ぎ方は5パターンだけ。時間か技術か人かお金か信頼か。

です。



それぞれについては今後まとめて書きますが、まず就職活動をする上で大前提となるのは「自己分析」、「業界分析」ほど時間の無駄なものは無い、ということです。キャリアの90%は偶然で決まる、という論文もありますが、そもそも職業がほとんど無い大学生が授業とサークルとバイトとデートの合間に少し考えたところで、想定通りのキャリアを歩む確率は1%もありません。



 そして最も大きな問題は学生が行った自己分析、業界分析を正しく評価できる面接官がいないことです。職業経験の無い学生が片手間で自己分析と業界研究をやり、学生の言ってること業界の将来を理解する面接官が合否を判定する。こんな茶番に大事な時間を費やす必要はありません。
結局、自分に向いてる仕事なんて自己分析&業界分析したところで分かるはずは無く、実際に仕事をやりながら徐々に修正していったほうがはるかに効率的です。



ここからは僕が大学時代から今までやってきた仕事を振り返ってみます。
僕が初めてやったのは個別指導の学習塾で、それを選んだ理由は時給が良かったことです。しかし実際にやってみて分かったことが「そもそも僕は勉強ができない」という初歩的なことでした。特に高校生を教えていると徐々に自分が生徒についていけなくなり、時給だけで選ぶのではなく自分の能力も加味しないとダメだな、と(めちゃくちゃ当たり前のことに)気が付きました。



次に始めたのはレストランのウエイターです。注文をとったり料理を運んだりする仕事なので、仕事的には難しくなかったのですが、ここの現場には今で言うものすごい女性のパワハラ上司がいました。人を精神的に追いやることに長けており、この時に初めてストレスが溜まると胃が痛くなることを経験しました。後で知ったのですが、この人は実は上司でも何でも無く、僕と同じくバイトで、新入りが来る度に精神的に追いやり退職させ、自分の権威を見せたがるクセのある方だったのです。「世の中にはこういう自分の存在感の示し方を間違ってる人がいるのね」と勉強になりました。



その次に始めたのはバスツアーの添乗員です。毎週末のようにバスツアーに乗り込んで九州各地の観光地を回りました。ツアーが終われば担当したツアーの収支を出すところまでやらせてもらえたので、ツアーごとの売上や利益が分かりました。どんなツアーに人気があるのか、バスや旅館の仕入れ値がいくらくらいかなど、ビジネスモデルの基本を勉強するには良い教材でした。また観光地には添乗員に”おこづかい”をもたせてくれるとこもありました。始めは「お客さんを連れてきてくれてありがとう」という感謝の意味だと思っていたのですが、これは「今度、近くを通るときはあなたの権限でうちにバスを寄らせてね」という営業だと気が付きました。この時に分かったのはお客さんからの評価は上々なのに、会社では全然評価をされないということでした(笑) 同じバイト生でも飲み会に遅くまで付き合ったりしながらうまく上司に好かれている人もいましたが、僕には同じことができるとは思えませんでした。この時サラリーマンとして生きていくのは厳しいかもしれないと大学生ながら感じました。



また、1日単位で完結する仕事とりももう少し長いスパンで取り組む仕事のほうが良さそうだな、とも思いました。しかし高校野球をやっていて3年間かけて1つの大会に臨むというも途方もない長さだったので、3ヶ月くらいで一つの成果がみえるくらいの仕事がいいな、と感じました。



 他にも派遣でクレジットカードの勧誘バイトや、選挙の出口調査のバイトをしましたが、成績は割と良かったと思います。派遣会社さんからも優先的に仕事を回してもらったり、ボーナスをもらったりもしました。ひょっとしたら営業とか向いているのかも、と分かりました。



 そして、大学を卒業し、リクルートに入社しました。リクルートでは事業開発室に配属されました。新規事業を立ち上げる部署ということで華やかなイメージを持たれがちですが、実際はテレアポ営業から飛び込み営業、大企業のコンペに参加、ルート営業、など様々な営業を経験しました。結局、帯状疱疹を患ったり、うつっぽくなったりしながらも全力でやってみましたが、同期や後輩と比べても自分が営業に向いているとも、上達する素質があるとも思えませんでした。同じ営業でも来たお客さん向けの営業と、自分から行く営業は違うんだな、と分かりました。



またその商品が本当にお客さんのためになるか分からない中で売ることにストレスを感じていました。時にはお客さんのためにはならないと感じながらも売らなければならないこともありました。同僚の中には「そんなの売ってから考えればよいし、どうせ定期的に担当は異動するから大丈夫」と言っている人もいましたが、僕は最後までそれが腑に落ちずにいました。ときにはもうすぐ契約、というタイミングで自ら破談にしたこともありました。どう考えてもお客さんに価値を返せるイメージができず、このままお金を受け取ったらお客さんを不幸にするのではないか。目の前のお客さんを裏切るくらいなら自分の営業成績を犠牲にしたほうがましだ、と思い至ったのです。 ちなみに、その同僚が社内で高い評価を受け、社内で大きな表彰を受け、出世していきましたが、それを見て自分も同じようになりたいとは思いませんでした。組織内の評価で左右されるサラリーマン人生は長く続かないかもしれないな、と感じました。



そして、今度は中国のベンチャー企業で働くことにしました。停滞する日本ではなく、高度経済成長の現場に身を置きたかったということが理由です。僕に課せられたミッションは北京に新しく事務所を作り、インターネット広告の代理店事業を軌道に乗せる、というものでした。ぐんぐん市場が成長しているがゆえに世界中からめちゃくちゃ優秀な人達が大きな資本を投じて新規参入してきており、常にライバルとの戦いでした。 たくさんのコンペに出たりしましたが、基本的に競争が好きではないことから、ライバルの雰囲気に飲まれることも多々ありました。異国の地で一人で戦うことの熾烈さを身をもって知りました。


その一方で良い収穫もありました。その頃は日本を訪れる外国人観光客が増え始めたころで、日本の企業や観光庁がアジア各国に広告を出向していました。そこで日本の企業から広告予算を預かり、アジア各国でそれぞれの地でプロモーションを請け負う新規事業を立ち上げ、比較的順調に伸びていきました。当時の日本にとって外国人観光客誘致は国を上げた「新規事業」でした。その新規事業に携われているという実感は非常に強いモチベーションとなりました。マーケットとモチベーションが噛み合えば事業は伸びることを体感しました。



そして今後は日南市役所のマーケティング専門官として宮崎に戻ってきました。日南市の人口動態を持続可能なモデルに変える、というミッションですが、これはWEBマーケティングをやっていたときの知見が役に立ちました。例えばECサイトの売上を伸ばそうとしたとき「どこからサイトに流入してきているか」「どこからサイト外に流出しているか」を分析します。これは「サイト」を「日南市」に置き換えれば日南市に入ってくる人口と出ていく人口の要因を分析することができます。他業界の知見を導入することでこれまでの自治体には無い新しい考え方が生まれることを実感しました。



また、日南ではフリーランス(個人事業主)として働いています。正社員時代と違って雇用の安定はなくなりましたが、働き方を自分で決められることなどから仕事の生産性はものすごく上がりました。正社員時代は不安は無かったものの不満は多かったです。それに比べてフリーランスは不安定ですが、不満はありません。自己決定権が幸せに直結するという調査データがありますが、僕の場合はその傾向が強いのかもしれません。大企業の正社員で働くよりも個人事業主として働くことのほうが向いているな、と分かりました。



そして、最近は「株式会社ことろど」を設立して会社経営もしています。人類が生み出した法人という概念を使って個人ではできないことをやってみたい。また自治体の仕事は「富をただしく分配すること」がメインですが、民間企業としての「富を生み出すこと」も忘れてはいけないという理由です。まさか10年前には自分が社長をやることになるとは微塵も思いませんでしたが、やってみてとっても面白く感じています。社長として意思決定をする機会は多いですが、その小さな意思決定の一つ一つの積み重ねが結果につながる「他責にできない環境」が非常に充実しています。



10年を振り返ると本当に一貫性のないキャリアを歩んできましたが、10年をかけて徐々に自分にとって居心地のいい場所、成果を上げやすい仕事、バランスのとれた働き方に近づいてきたとも言えます。10年前、大学生だった自分がやっていた自己分析や業界研究は今から思えば全く見当外れなものでした。


「誰か」が決めた就職活動のルールに焦ることもあるかもしれませんが、まずは選んだ仕事に集中して取り組み、そこから分かったことを軸に次のキャリアを選んでいきましょう。そもそも学生と企業という圧倒的な情報の非対称な条件下の就職活動です。しかも働く場所、職務内容は企業が一方的に決められるルールのなかで、自分に最適な企業と職種にはじめから出会えるはずがありません。野球に例えるならば、空振りしたり詰まったりしながらが、自分が得意なコースや球種を理解していきます。一度も打席に立たずに想像だけで自分の得意なコースと球種を決めることはできません。就職活動も同じです。自分の机やPCに向かって自己分析や業界研究に唸っているよりも興味のあることにどんどんチャレンジして、軌道修正しながら自分にあった仕事や働き方を見つけていくほうが、圧倒的に効率的なのです。



Posted by たじぃ at 18:30│Comments(0)
 
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