2011年07月21日
「偉い」の定義の変化から見る日本のグローバル化
中国語を日々使っていると、うまく中国語に訳せない単語がちらほら出てくる。この前は「偉い」をうまく訳せなくて困っていた。
直訳すると「伟大」とかになるんだけど、これはどちらかというと「偉大」というニュアンスなので、「偉い」とは少し違う。ちなみに英語にもピタリハマる単語がないらしい。
ということは、日本人がよく使っている「偉い」ってどういう意味で使ってるんだろう。
広辞苑では「普通よりもすぐれている様。社会的地位が高い。」と書かれているんだけど、あまりしっくり来ない。勉強が出来て東大に入る事は普通に比べて優れていることは間違いないんだけど、じゃな東大出身者は偉いのかと言われると、ちょっと違う気がする。社長であれば社員から搾取しまくっていても偉いのか?と言われるとむしろ「偉くない」方に分類されるような気がする。
確かに従来は、役職や社会的地位と「偉い」の紐付けがされていたと思う。会社の中であれば社長が一番偉くて平社員が一番偉くない。政治の世界であれば総理大臣が偉くて村議会議員は偉くない、みたいな感じ。
でも、最近は無意識的なところで、「偉い」の定義が変わってきているような気がする。広辞苑の定義に少し違和感を感じるのはそのせいじゃないか、と思っている。
そんなことを考えていると、前職の組織長が僕に言ってくれた一言を思い出した。
「この組織の中で一番偉いのは俺だ。それはこの組織の中で俺が一番偉いのは、組織のことを一番考えて、一番行動しているからだ。だがお前(田鹿)のクライアントの件に関しては俺よりもお前(田鹿)の方が偉い。それはクライアントの事を一番考え、クライアントのために一番行動しているのはお前(田鹿)だからだ。偉い、偉くないは、役職ではなく、『どれだけ考えて、行動しているか』で決まるんだ。」
当時の僕はどうしようもないくらいアホだったので(今はどうにかなるアホに昇格した)、意味を全く解せなかったが、今はその意味が少し分かる気がする。社長が会社の中で一番偉いのは社長が会社の事を一番考えて、一番行動しているという「前提」があるから。総理大臣が日本の中で一番偉いのは日本のことを一番考えて、一番行動している「前提」があるから。逆に言うとこの前提がなくなれば、いくら社長であっても総理大臣であっても偉いわけではないということ。「普通よりも能力が優れている(広辞苑)」東大出身者を「偉い」と行ったときに違和感を感じるのは、何を考えて、どんな行動をしているかが見えないから。かもしれない
「偉い」を英語にも中国語にも訳せないのは、それが日本固有の文化の中で生まれた定義だったからなのかもしれない。しかしブローバル化が進んだことで、「偉い=社会的地位が高い、普通よりも優れている」という定義が少しづつ変わってきていて、このグローバルの波を大きく受けている若い世代は特に「偉い」の定義に違和感を感じるんじゃないか。
グローバル化で人の動きが代わり、モノの流れが変わり、お金の単位が変わっていく中、母国語の定義も少しづつ変わってきている。外国語にうまく訳せない単語が表す意味の変化がどう起こるのか、結構興味深い内容だと思う。
一旦、僕の中の「偉い」の定義はリクルートの先輩からもらった
「どれだけ考えて、どれだけ行動したか」で決まる相対的地位。
ということで一旦落ち着けておきたいと思います。
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直訳すると「伟大」とかになるんだけど、これはどちらかというと「偉大」というニュアンスなので、「偉い」とは少し違う。ちなみに英語にもピタリハマる単語がないらしい。
ということは、日本人がよく使っている「偉い」ってどういう意味で使ってるんだろう。
広辞苑では「普通よりもすぐれている様。社会的地位が高い。」と書かれているんだけど、あまりしっくり来ない。勉強が出来て東大に入る事は普通に比べて優れていることは間違いないんだけど、じゃな東大出身者は偉いのかと言われると、ちょっと違う気がする。社長であれば社員から搾取しまくっていても偉いのか?と言われるとむしろ「偉くない」方に分類されるような気がする。
確かに従来は、役職や社会的地位と「偉い」の紐付けがされていたと思う。会社の中であれば社長が一番偉くて平社員が一番偉くない。政治の世界であれば総理大臣が偉くて村議会議員は偉くない、みたいな感じ。
でも、最近は無意識的なところで、「偉い」の定義が変わってきているような気がする。広辞苑の定義に少し違和感を感じるのはそのせいじゃないか、と思っている。
そんなことを考えていると、前職の組織長が僕に言ってくれた一言を思い出した。
「この組織の中で一番偉いのは俺だ。それはこの組織の中で俺が一番偉いのは、組織のことを一番考えて、一番行動しているからだ。だがお前(田鹿)のクライアントの件に関しては俺よりもお前(田鹿)の方が偉い。それはクライアントの事を一番考え、クライアントのために一番行動しているのはお前(田鹿)だからだ。偉い、偉くないは、役職ではなく、『どれだけ考えて、行動しているか』で決まるんだ。」
当時の僕はどうしようもないくらいアホだったので(今はどうにかなるアホに昇格した)、意味を全く解せなかったが、今はその意味が少し分かる気がする。社長が会社の中で一番偉いのは社長が会社の事を一番考えて、一番行動しているという「前提」があるから。総理大臣が日本の中で一番偉いのは日本のことを一番考えて、一番行動している「前提」があるから。逆に言うとこの前提がなくなれば、いくら社長であっても総理大臣であっても偉いわけではないということ。「普通よりも能力が優れている(広辞苑)」東大出身者を「偉い」と行ったときに違和感を感じるのは、何を考えて、どんな行動をしているかが見えないから。かもしれない
「偉い」を英語にも中国語にも訳せないのは、それが日本固有の文化の中で生まれた定義だったからなのかもしれない。しかしブローバル化が進んだことで、「偉い=社会的地位が高い、普通よりも優れている」という定義が少しづつ変わってきていて、このグローバルの波を大きく受けている若い世代は特に「偉い」の定義に違和感を感じるんじゃないか。
グローバル化で人の動きが代わり、モノの流れが変わり、お金の単位が変わっていく中、母国語の定義も少しづつ変わってきている。外国語にうまく訳せない単語が表す意味の変化がどう起こるのか、結構興味深い内容だと思う。
一旦、僕の中の「偉い」の定義はリクルートの先輩からもらった
「どれだけ考えて、どれだけ行動したか」で決まる相対的地位。
ということで一旦落ち着けておきたいと思います。
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Posted by たじぃ at
07:06
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2011年07月16日
カンヌ広告賞金賞おめでとう!九州新幹線プロモーション
九州新幹線全通の「幻」のCMがカンヌ国際映画祭で金賞を受賞しました!いやーめでたい。
↓日本から見ている方
http://www.youtube.com/user/shuku9wave
↓中国から見ている方
http://v.youku.com/v_show/id_XMjc5MDU5MjM2.html
なんで「幻」かというとこのCMが実際にテレビで放送されたのは2~3日ほど。というのも、九州新幹線全通が3月12日だったのですが、東日本大震災が前日に発生し、それ以降は日本全国で自粛ムード。そのあおりを受けて、このCMもその後使われることはありませんでした。
ただ、その後はネット上で「九州新幹線のCMが素晴らしい!」と話題になり、この度の受賞につながりました。
僕はこの出来事を中見ていて、二つのことに勇気づけられました。
一つはクリエイティブ面。九州新幹線沿線が一つになって、この3分間のCMを仕上げたこと。よくある、有名人ありきのCMではなく、その土地に住人、そこにしかない物を使って一つのCMを創り上げたことに広告に携わるハシクレとしてとても強い感動を受けました。さらにメッセージがこのCMに出演者に感謝を伝え、住民と同じ目線で作られていること。従来のような「ウチの商品いいですよー!」「ウチのサービス使ってねー!」という、一方的な情報伝達じゃない点が素晴らしい。そもそもこのクリエイティブ自体がこれは僕が将来目指す、「地域資源」に基づいた街づくりにも繋がるということもあり、個人的な価値観、志向性の琴線に触れた一つの作品でした。
そして勇気づけられたもう一つは、多くの人がこのCMに触れたのは従来のテレビなどのマス媒体ではなく、インターネットだったということ。さらにネットの中でもポータルサイトではなくYouTubeのような動画共有サイトや、ツイッター、ブログ、mixi、FacebookのようなでSNSで拡散していったことでした。もしもインターネットがこの世に存在していなければ、このCMは文字通り「幻」のCMとなりお蔵入りになっていたことでしょう。
先述したようにこのCMのメッセージ自体が「九州新幹線いいですよー、速いですよー!」という一方的な情報伝達でなく「九州のみんなありがとう!」的なメッセージなので、SNSの特徴との親和性もよかったんでしょうねー。
すこし余談ですが、この九州新幹線全通のプロモーションが実質なくなったことで、それまでの準備に1年以上費やしてきた関係者の方々は本当に落胆して居らっしゃったと思います。僕もこれに関わっていらっしゃった方がいましたが、前日に大々的なプロモーション中止が決まったときには、職場は大号泣だっようです。でも本当にいい物、気持ちが伝わる物を作れば、ネットの力で拡散されて、カンヌ国際広告賞を受賞することだって出来るんだと。このニュースは九州新幹線に携わってきた多くの人達に喜びを与えるニュースになったと思います。
この九州新幹線全通CMのカンヌ受賞は自分のネット広告業としての仕事面からも、将来の行う、街づくりという志向性の面からも、自分の価値観、意識に大きな影響を与えた出来事でした。まだまだ駆け出しだけど、将来はこういうプロモーションを引っ張っていけるような人材になりたい。この一連の仕掛けは自分のかなり遠いところにおかれたマイルストーンです。
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↓中国から見ている方
http://v.youku.com/v_show/id_XMjc5MDU5MjM2.html
なんで「幻」かというとこのCMが実際にテレビで放送されたのは2~3日ほど。というのも、九州新幹線全通が3月12日だったのですが、東日本大震災が前日に発生し、それ以降は日本全国で自粛ムード。そのあおりを受けて、このCMもその後使われることはありませんでした。
ただ、その後はネット上で「九州新幹線のCMが素晴らしい!」と話題になり、この度の受賞につながりました。
僕はこの出来事を中見ていて、二つのことに勇気づけられました。
一つはクリエイティブ面。九州新幹線沿線が一つになって、この3分間のCMを仕上げたこと。よくある、有名人ありきのCMではなく、その土地に住人、そこにしかない物を使って一つのCMを創り上げたことに広告に携わるハシクレとしてとても強い感動を受けました。さらにメッセージがこのCMに出演者に感謝を伝え、住民と同じ目線で作られていること。従来のような「ウチの商品いいですよー!」「ウチのサービス使ってねー!」という、一方的な情報伝達じゃない点が素晴らしい。そもそもこのクリエイティブ自体がこれは僕が将来目指す、「地域資源」に基づいた街づくりにも繋がるということもあり、個人的な価値観、志向性の琴線に触れた一つの作品でした。
そして勇気づけられたもう一つは、多くの人がこのCMに触れたのは従来のテレビなどのマス媒体ではなく、インターネットだったということ。さらにネットの中でもポータルサイトではなくYouTubeのような動画共有サイトや、ツイッター、ブログ、mixi、FacebookのようなでSNSで拡散していったことでした。もしもインターネットがこの世に存在していなければ、このCMは文字通り「幻」のCMとなりお蔵入りになっていたことでしょう。
先述したようにこのCMのメッセージ自体が「九州新幹線いいですよー、速いですよー!」という一方的な情報伝達でなく「九州のみんなありがとう!」的なメッセージなので、SNSの特徴との親和性もよかったんでしょうねー。
すこし余談ですが、この九州新幹線全通のプロモーションが実質なくなったことで、それまでの準備に1年以上費やしてきた関係者の方々は本当に落胆して居らっしゃったと思います。僕もこれに関わっていらっしゃった方がいましたが、前日に大々的なプロモーション中止が決まったときには、職場は大号泣だっようです。でも本当にいい物、気持ちが伝わる物を作れば、ネットの力で拡散されて、カンヌ国際広告賞を受賞することだって出来るんだと。このニュースは九州新幹線に携わってきた多くの人達に喜びを与えるニュースになったと思います。
この九州新幹線全通CMのカンヌ受賞は自分のネット広告業としての仕事面からも、将来の行う、街づくりという志向性の面からも、自分の価値観、意識に大きな影響を与えた出来事でした。まだまだ駆け出しだけど、将来はこういうプロモーションを引っ張っていけるような人材になりたい。この一連の仕掛けは自分のかなり遠いところにおかれたマイルストーンです。
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Posted by たじぃ at
19:10
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2011年07月13日
教えてもらおうと思っているうちは成長しない
前職は大企業ということもあり、研修制度などとても充実していた。ネット業界のトレンドから、各サービスの特性、他社事例、アメリカの動向などなど、本当に充実していた。でも、今思うのは、当時の僕はその研修に「教えてもらおう」という意識で参加していたように思う。でも「教えてもらう」という受身の態勢では決して成長はしない。
最近、中国の検索エンジン対策としてのSEO提案が増えている。前職もネット広告をやっていたので、基本的な仕組みは理解していたつもりだったのだが、自分から提案する機会は無かったので、あくまで「知識」として覚えていたレベルだった。だが、実際に自分が提案をすることになれば、本気で勉強する。先輩から本を借りて、何度も読み込む。そして、なるほど、こういう事だったのか、と理解して、前職の時のテキストを見返してみると同じことが書いてある。当時の僕は「分かった気」になっていただけで、本当な何分かって無かったのだと痛感した。
何事も受身の姿勢でいるうちは成長しない。自分の事と捉えて心づもりをしておかなくてはならない。自分がどう成長して、それによって誰にどういう事で貢献するのか。成長とは自己満足ではなく、広い意味で社会に貢献することである。そんな事を改めて意識付けられました。
最近、中国の検索エンジン対策としてのSEO提案が増えている。前職もネット広告をやっていたので、基本的な仕組みは理解していたつもりだったのだが、自分から提案する機会は無かったので、あくまで「知識」として覚えていたレベルだった。だが、実際に自分が提案をすることになれば、本気で勉強する。先輩から本を借りて、何度も読み込む。そして、なるほど、こういう事だったのか、と理解して、前職の時のテキストを見返してみると同じことが書いてある。当時の僕は「分かった気」になっていただけで、本当な何分かって無かったのだと痛感した。
何事も受身の姿勢でいるうちは成長しない。自分の事と捉えて心づもりをしておかなくてはならない。自分がどう成長して、それによって誰にどういう事で貢献するのか。成長とは自己満足ではなく、広い意味で社会に貢献することである。そんな事を改めて意識付けられました。
Posted by たじぃ at
07:09
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2011年07月10日
半年ののりしろ期間終了
昨年の12月にリクルートを退職し、今の爱德威广告(上海)有限公司というネット広告会社転職した。それから、まもなく半年が経とうとしている。今回の転職は仕事内容が変わるだけでなく生活する場所も代わり、使う言葉も変わったので慣れるのに大変だった。僕はいつも環境が大きく変わるときは昔から半年の「のりしろ期間」というものを設定している。新しい環境に慣れることを主眼に置いた期間のことである。こういう期間を意識していないと、無意味に焦ったり、逆にダラダラと引きずっていったりする。なのでいつも僕ははじめの半年を「のりしろ期間」と設定して、まず、自分がどういう環境にいて、その中で自分の強み・弱みを見立てて、今後の対策を立てていく。ということで、今日は上半期の棚卸を行っている。(ドリンクバー付きファミレスで。)
さて、来週からは下半期に突入です。生活のサイクルもある程度安定してきたし、これからは積極的に仕掛けていきたいと思っています。ちょうど最近仕事で色々あって弱り気味だったのだけど、そんなことも言ってられない。明日からも全力疾走だ。
さて、来週からは下半期に突入です。生活のサイクルもある程度安定してきたし、これからは積極的に仕掛けていきたいと思っています。ちょうど最近仕事で色々あって弱り気味だったのだけど、そんなことも言ってられない。明日からも全力疾走だ。
Posted by たじぃ at
20:58
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